うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

都合よく共感する脳。ある女性と女性の実例(夏目漱石「坊っちゃん」読書会での演習より)

人というのは同じ文章を読んでも共感ポイントが分かれる。脳は勝手なものだから、都合のよい記憶を引き出して紐づける。読書会をすると「おお。その角度、状況からすると、そうか!」ということがたくさん発生して、自分がいかに自分の定めた二元論のなかで思考を巡らせているかがよくわかる。
夏目漱石の小説のなかでも「坊っちゃん」は「他人とのコミュニケーション」の正当化をさまざまな角度で見せてくれる作品。予想通りの盛り上がりを見せるなか、同じフレーズを読んだ人の共感視点ちがいの事例をひとつご紹介します。


場面は、この部分。十章。

手紙なんぞをかくのは面倒臭い。やっぱり東京まで出掛けて行って、逢って話をするのが簡便だ。清の心配は察しないでもないが、清の注文通りの手紙を書くのは三七日の断食よりも苦しい。
 おれは筆と巻紙を抛り出して、ごろりと転がって肱枕をして庭の方を眺めてみたが、やっぱり清の事が気にかかる。その時おれはこう思った。こうして遠くへ来てまで、清の身の上を案じていてやりさえすれば、おれの真心は清に通じるに違いない。通じさえすれば手紙なんぞやる必要はない。やらなければ無事で暮らしてると思ってるだろう。たよりは死んだ時か病気の時か、何か事の起った時にやりさえすればいい訳だ。

Hさんのコメント

よく男性は「言わなくても分かるでしょ」とか「伝わるでしょ」とか言いますが、女はエスパーじゃないから言うなり書くなりしてくれろ!

と(笑)。一同タテノリでうなずきます。
わかりますねぇ、これ。とくに、恋の魔法が解けちゃうと、そうですよね(笑)。「以心伝心」が「親しき仲にも礼儀あり」になるこの人間関係のリアリティ。これが現実。




が、同じ女性でも、相手が変わるとまた状況が違う。
Rさんのコメント

親がいちいちメールしてくるんですけど、この坊っちゃんの気持ち、よくわかるんです。「生きてるんだからいいだろ」と思っちゃう。

ちょっとちょっと、娘さんや。いまはメールの時代。メールなだけ、いいかもよぉ。んなもん、サクっと返しておけや(笑)。という気持ちもありつつ、「それも、わかるね」と。



男女関係、親子関係でなくても、こういうことってありますね。
友人同士でも、一時的にギューっと共感して過剰なコミュニケーションでも苦でないうちはよいのだけど、ってこと、ありますね。わたしはよく「スタンド・バイ・ミー状態」と言っていますが、いっけん青春の味でありながら、何歳になってもこういうことはあります。でもそこで「長く味わえる距離」をコントロールできるのがオトナ。
仕事でも、「立ち上げ」「オープン」「リリース」なんてときに、仕事仲間の間でこういうことは起こりがち。この高揚感って、たぶん戦争を起こすときの感覚と似ているのだと思う。少し「誇らしさ」のようなものが視覚的に入ると、すごくそれらしい気持ちになる。同族意識にこれが重なると、とても危険。




ちなみに……
別のトピックでしたが、同じ部分へのツッコミがありました。
Cさんのコメント

「三七日の断食よりも苦しい」って、坊っちゃん絶対に断食したことないですよね。あんだけいろいろ……。食べてばっかりですよね。

んだ! んだ! ちなみにこの「三七日の断食」って、21日間のことです。絶対やってない(笑)。
このように、コネタへのツッコミも楽しい。



坊っちゃん」は、「関係性で生じる心理」が多角的に描かれていて、まるで玉手箱。「こころ」のように、自身のなかで培養され発酵する「内的」な心理描写とはちがった、「外的」な味わいが広がります。
都会と田舎の二元論が炸裂しまくっているのも楽しい。趣きに差はありますが、「アルプスの少女ハイジ」みたいなところがあるんですよね。趣きに差がありすぎますけどね(笑)。


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