うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

頭がよくなるユダヤ人ジョーク集 烏賀陽正弘 著


軽く読めて面白かった。「セックス・アンド・ザ・シティ」が好きな人に、かなりおすすめ。
冒頭に紹介されるコメディアン・リストの中に、SATCの製作者であるダーレン・スターの名前があって、この一冊を読み通すとSATCの面白さはユダヤ的マインドのたくましさが背景にあったんだ、ということに気づく。
この本を読みながら、いろいろなことを考えました。この本に紹介されているジョークは、自虐しつつ相手をさらに落としていたり、まあとにかく奥行きがすごい。

真にユーモアを解する者とは、自分自身や自分の属している民族や人種が揶揄されたり、からかわれたりしても、心から笑える人を指すといわれる。(205ページ)

この一行を読んで、二つのことを思い浮かべました。

  • SATCの中にある「明るい救い」のありかは「たくましさ」にあること。
  • チョギャム・トゥルンパ氏が唱えていること(人間がもちえて動物にはない強さの可能性は「ユーモア」にあること)。

ユダヤ人にとってユーモアは

自分の個人的な苦悩やストレスを和らげて元気づけ、さまざまな苦境を乗り越える精神的支えともなっている。(27ページ)

のだそう。


この本にある例(200くらい登場します)を読んでいると、日本の笑いは「ウィット」よりも「器用さ」や「異質性」がベースになっているものが多いのだなぁ、と感じます。細かすぎてわかりにくいところまで上手にマネている機微や、引用元・モトネタを踏まえたうえでの二次創作の面白さ、異質なものをなぜ異質を感じるのかというところで共感する。「共感」の笑いです。
一方、ユダヤ人的なジョークというのは、まるで車のハンドルを握っているような主体性がある。イレギュラーの乗り越え方を競うようなパワーがある。迫害されてきた人は強いわー、と、そう思わされる。


ふたつ、引用紹介します。

(26ページより)
ナチ時代の話である。ある日、ヒトラーが一人で湖畔を歩いていて、不用意に足を滑らせて湖中にはまってしまった。溺れかけたヒトラーは、必死にもがいて助けを求めた。
 そこへ、たまたま通りかかった少年が、彼を救い上げた。
 一命を取り留めたヒトラーは、喜んだ。
「ありがとう! 君の名は? 助けてくれたお返しにお礼をしたい」
 少年は、おそるおそる、
フィンケルスタインです」
 と言うと、ヒトラーは驚いた。
「お前はユダヤ人だな! しかしオレの命を救ってくれたから、何でもしてあげよう」
 少年は、答えた。
「一つだけでいいです。お願いですから、どうか僕の親父には、あなたを助けたことを言わないでください」

誇りとユーモアのバランスがたまりません。


(58ページより)
イスラエル国会(クネセト)の議長は毒舌をもって知られていた。あるとき、本会議で120人の議員を前にして
「この議会にどうして信頼を置けというのですか。議員の半分がバカなのに!」
 と演説を締めくくった。
 しかし、あまりにも侮辱的な発言なので、本人やメディアに講義の電話やメールが殺到した。翌日、彼はやむなく演壇に立って弁解をした。
「昨日の私の発言で、ご迷惑をおかけしたことを、心から深くお詫びいたします。昨日の発言を撤回させていただきます。議員の半分はバカではありません」

いまの日本の、異様なバッシング社会で生きる政治家さんたちに贈りたい。それ謝らなくていいよ、ってのもけっこう多いと思うので。



この本には日本じゃありえないノリのときっつい性ネタもたくさんあって、SATCのサマンサのルーツを感じずにはいられない。かなり面白い。アメリカン・ドラマがくれる元気の種は、ここにあったのか! と、学びの多い一冊でした。
苦しいときに笑えない雰囲気を増やして絆で共感するのって、泥で作った船にわざわざ乗り換えるような不思議さ。と思っていたので、わたしはこれを読んでとてもスッキリしました。