概要編、食事編に続き、運営編です。
コタキナバルの市立モスクでは、HANAさんとSYEDさんにいろいろなことを教えてもらいました。
SYEDさんは元日本の自動車メーカーの社員で1980年に日本で研修を受けたことがあるという親日家。日本での研修のあと、マレーシアの工場でエンジニア職、オペレーション・マネジメント職を経てリタイア後、この市立モスクのマネージャーをボランティアでやっている。
「僕はコーランが諳んじられるほど頭に入っていないから、イマーム(平たくいうと、指導者っぽい職のこと)は別の人が務めているよ。僕はマネジメントくらいしかできいないからね」と謙虚におどける。
日本ではサイトーさんと呼ばれていたそう。日本にいる時、「いつものように信号は無視して渡っていたのだけど、5歳くらいの子供がじっと待っているのを見て、3日くらい恥ずかしくて胸が痛んだ」など、日本で学んだことの思い出話を楽しげに語ってくれました。
いちどHANAさんに案内をしてもらって(概要編に書きました)、「楽しかったな、あとは売店でご飯をたべて、一休みして帰ろう」と思っていたのだけど、素敵なレストランと売店があって、ちょうど食事をしたら12:24のお祈りが聴けそうだったので、「本を読みながら待つかなぁ」と、ゆるゆると過ごしていました。
このレストランで奥のテーブルにいたのが、SYEDさん。
ほどなくして「Are you corean?」と話しかけられました。「いいえ、日本人です」「日本? ぼく日本に行ったことがあるよ」というところから話がはずみ、わたしが本を読みながらノートになにやら書いているのが気になっていたとおっしゃる。
手元の本を「これは日本語版のコーランです」といったら、なんだか仲間の人もやってくる。「この人、日本語でコーランを読んでるんだって」「ぼくらはこのモスクを運営しているんだ」と。
ノートのほうは、コーランを聴きながら「いい声だなぁ、まるで」
「食事が済んだら、もう一度オフィスに来てね。案内をしたいから」と声をかけてもらったので、またモスクの中へ入ってみました。
「お、きたねきたね。こっちこっち」と説明ボードの前で、いろんなお話をうかがいました。
この市立モスクは、2011年に国内でのイノベーションNo.1モスクに選ばれ、マレーシア国王からトロフィーを与えられています。まる一日ここで過ごしてみたら、なるほどたしかに、な運営。
「近年、モスクは祈るだけの場所になりつつあってね」というSYEDさん。でもここでは教育も、社会問題の相談会、地域の情報提供など、ソーシャル活動を積極的に行っています。
メンテナンスもしっかり行いつつ、24時間、ここまでオープンなモスク運営をするのは大変なことだそうで、
2年ごとに更新される運営首脳陣は教師、医師、ビジネスマン、エンジニア、さまざまな職種の人が、ボランディアで活動されています。
SYEDさん(右の人)は、「教育も経理も人とお金のマネジメントも、自動車メーカーの仕事でやっていたこと、カスタマーケアとまったく同じなんだ。ムスリムをお客さんに例えるとだけどね(例えは、「もちろんお客さんとは違うけど」というニュアンスがありつつ)」という。
イスラームの一面であるテロなどのextreamな部分を強い印象をもたれることに、やはり頭を痛めている。
「日本でも、ありましたね。15年くらい前かな。でっぷりとした、口髭の」とおっしゃる。「はい、ヨーガの教えを使って」という話をしました。(オウム真理教のことです)
HANAさんにはコーランを読んでいることは言わずにさらっと一度観光を終えていたのだけど、SYEDさんから「日本語でコーランを読んでいるんだって。めずらしいね。(そのあとはマレー語でなんやら指示出し)」とあらためて紹介されました。SYEDさんは会議があるとのことで、またHANAさんが案内をしてくれることに。でも参拝観光客はちょいちょいやってくる。お客さんへの案内の合間に、ホールの隅っこでまたHANAさんと話をしました。
マレー語なので読んでもわからないのだけど、イノベーションNo.1モスクの運営の様子を想像する。
観光客が途切れるたびに、HANAさんが戻ってきて、きゃっきゃと話す。宗教ガールズ・トーク。
「どうしてイスラームに興味があるの?」と聞かれたので「日本の仏教と、似たところがあって」という話をしました。
イスラームの大乗的な感じと日本の浄土宗や阿弥陀信仰に似たものを感じることや、ジェスチャーを交えながら曹洞宗や真言宗で行う五体投地的な動きの話をしました。HANAさんは、「礼拝のしかたは手がアップサイド・ダウンなのね。そのほかは、そっくりね!」と。
SYEDさんともいろいろな話をしました。
SYEDさん目線では「もし日本でイスラームが興っていたら、すごいことになっていたと思うのですよ(日本の強さは「正直さ」というのがSYEDさんの日本観)」と。「言いたいニュアンスは、わかる。もしそうであったとしても、アメリカの影響でそれをひょいとひっくり返すということを、そのあとやっぱりしちゃったりするかも……」という思いや想像を胸にしまいつつ、聞く。
SYEDさんは一方で、日本人が宗教に疎いこともよく知っている。コーランを読んでいる日本人を初めて見て、「今日はいろいろな話をしたくなっちゃった」のだそう。インドへも行っていろいろ思ったことがあるそうで、仏教やヨーガについても理解がある。
「あなたは仏教やヨーガを学んでいるようだけど、イスラームもキリスト教も併せて学ぶということを、続けたらいい。比べて学ぶことは、とてもよいことだから」とアドバイス(励ましかな)をいただいた。
「no religion は animal と一緒だから」と。
ここからanimalの話になって、「なぜ豚がダメなのか」「カニもあれだよ、悪くはないけど、よくないよ」という話に。
これはちょっとおもしろかったので、次回に持ち越します。