うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

3つの設定変更について

OSとブラウザ
細かくはほかにもちょいちょいいじっているのだけど、いまの時代に合わせて3つの設定変更をしました。
たまに意図を聞かれますが、だいたい物理的な理由です。
こういう話は中途半端に噛み砕こうとするとものすごく長くなるので、あまり噛み砕かずに書きます。



■タイトルをシンプルにした
これは最近twitterボタンを使う人が増えてきたため。記事名が長いことが多いので、それに加えてブログのタイトルがつくと、とても長くなる。文字数への配慮です。



■コメント機能をやめた
これは以前書いたとおりで、最近は少し眼をいたわるようにしているので日記の頻度もなりゆきで減っています。
よいご縁の機会も封印してしまったけれど、これまででじゅうぶん。友人へのメール不精や愛想のなさ(「電報みたい」と言われる)も相変わらずなので、シンプルに工数を減らしました。



■ランキング参加をやめた
応援はもうじゅうぶんでした。これまでありがとうございました。
ここからは専門的な書き方になるけれど、INポイント(ブログの中の応援クリックによってランキングサイトの表示回数が増える)でページビューが発生して広告在庫が生まれるというモデルは、本質的に今後そんなに長く「いい感じで」続いていかないだろうと思っています。
置いておけばそれなりの流入はあるのですが、当然、質もそれなり。OUTポイントの加算者は、自分もヨガブログを書いてるって人が半分以上だったんじゃないかな。
スマートフォンやスマートパッドからの /touch アドレスへのアクセスとSafariブラウザの構成比が爆増している時点で、もはやパソコン(およびスマートフォンに最適化されない設定)で見るときだけに存在するボタンは、「どうでもいいこと」になりつつあります。
今日の画像がその円グラフです。(直近1ヶ月)

(最後の0.91、渋いなぁ)


記事の下にボタンやリンクを置いて「応援よろしく」としている場合を除き、もう2割の人には表示されなくなる勢いです。
ここについては専門的に書くと本当に専門的になってしまうのですが、機能というのは時代に合わせて優先順位がつけられているので、あれはもうアメブロガラケーの文化でやっていく人におまかせの仕組みです。
ユーザビリティの個人的な価値観として、各記事にボタンをつけていなかった時点で、記事を支持する機能はソーシャル・ブックマークとtwitterが主に担い、ブログランキングは基本的に「人を支持するもの」であると認識していました。
その上で、「クリックさせる=ページビュー発生=広告の表示在庫」と考えると、わたしがブログを書いているこの「はてな」というサービスはおそろしく硬派な仕様です。そこが好きで使っています。人間だったら結婚したいタイプです。



ここまで読んで、アメブロの広告ビジネスとその仕様について否定的なのかと思う人がいることが想像されますが、あれはあれでよくできています。有名人が連れてくるユニークユーザーの分配と両立しつつなので。見る人がいなければ書くモチベーションが続かないだろうというところをうまく包んでいる。はてなで改行満載のアメブロ向きな日常日記の文章を見ると、「アメブロでやれば、もっと読まれるだろうに」と思ったりします。
あとは、携帯メールをよくする女性ユーザー層向けならば、やっぱり親しみやすさの点で「はてな」よりも「アメブロ」でしょう。
ほかのブログの仕様としては、JUGEMやfc2も過渡期のなかでバランスをとっているかなと感じています。どこも読み手だけでなく書き手のユーザー層にあわせて設計がされています。身体の癖と同じように、世の中のサービスの「力の使い方」を見るのがもう性癖かもしれないな。



スマートフォンだソーシャル・メディアだとあちこちで言われていますが、書き手も「記事なのか個人なのか」という支持のされ方の認識とチューニングをやんわりと迫られている。(迫られなくてもいいけど)
ランキングについては「まあそう言わずに記事にもボタンを置けばいいじゃないの」という考え方もありますが、「読み込み量」のなかに個人への支持設定を置くのはなんだかいやらしいわ、というすごく奥ゆかしい気持ちでいます。
ここが、妙に古い人間なんですよね。わたし。「ピー、ヒョロロロロロロ・・・」とネットに繋いでいた時代からのおばちゃんだから(笑)。



もっと専門的に書くとテキストとコンテンツの希少性の話に及ぶのだけど、それは、需要がなさすぎる(笑)。ヨガ周辺限定のテキストマイニングの話題はスピリチュアルのダークサイドにがっつり片足を突っ込むことになる。(わりと解析に詳しい人には、「ああ、あそこのリファラではいろいろなものが見えちゃうんだろうなぁ」と、想像はたやすいでしょう。こういうのは、ものすごく酔っ払っていないと書けないし話せない)


今日は一般的にはややこしいことを書きましたが、「もうじゅうぶん過ぎるくらい読んでいただいています」。
ということです。今日も読んでくれてありがとう。
今後はますます、いろいろな意味で「丁寧さ」について考えながらやっていこうと思います。