うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ドミトリーの夜。京都のゲストハウス「はんなり」

京都で仏教やヨガ探訪をしているあいだ、ここで一晩お世話になった。ドミトリーのほうが「相部屋」のニュアンスが強いのだけど、ゲストハウスも同じ意味だ。
誰と一緒になるかわからない、ベッドだけを求めて泊まる場所。仕事もかねての関西滞在で忙しく動き回りつつ、プライベートな行動ではゲストハウスを選ぶ。チェックイン時間に間に合わなければタクシーで乗りつけるので逆に高くついたりもするのだけど、ホテルだと「○○様ですね、ご予約承っております」という対応をされるので、自分をなくせないのがもったいない。
そこに泊まることも含めて旅の楽しみである場合を除いては、なるべく「はいはい○○さんですね、こんにちは」な環境に身をおくようにしている。



この日はたまたまキャンセルがあったので結局ひとりでこの部屋を使ったのだけど、3畳あるのかな、くらいの大きさ。
他の人は「廊下が寝台列車」の状態で寝ているから、ドアがあるだけで好待遇。



耳栓を受付で渡される。これは、自分は使わないけどうれしいサービスだ。同部屋になる人のことを考えると、助かる。うちこは左の腰が前にねじれているから、長年かけて治るまで、イビキ怪獣なのだ。だから、一人旅が気楽でいいんだな。




朝キッチンへ行くと、自分の名前が書いてあるトーストの袋がある。自分で焼いて、コーヒーをいれる。



ゲストハウスhannari
うちこが泊まった夜は外国人はおらず、日本人の旅人や学生さんが多かった。原発の影響なのかな。


インドの寝台列車で膝を畳んで(いつもの寝相)寝て起きたら、足の後ろに三人座っていたことがあった。ニコッと話しかけられて、トランプに混ざらないかと誘われた。「安心って、なんだろう。安心じゃなくても楽しいじゃないか」と思うようになってから、なるべく「安心の前提」を檻のようなものと考えないようにしている。「範囲を限れば安全」も確率論で、完璧ではない。


勉強部屋としても使う場合はわりとしっかり個室を確保するのだけど、そうでないときはどこへ行っても「ゆきずり」のことばかり。「誰でもない、なんのラベルも貼られていないただの人」からはじまる会話は、カラッとふんわり。心地よい。
「今日からですか? 京都だけ?」「今日東京から来たの。勉強のために昔ながらのヨガを習いに来たの」「へぇ〜。なんかヨガやってそうに見える。(頬を包みながら)やっぱりヨガしたらやせますかねぇ……」「うーん。そこは……なんとかならないかも……」(にゃはは)なんていういい加減な会話だけでいい。とてもいい加減だ。
たぶん15歳くらい年下の子と話している。東京でこんな仕事をしているOLです。なんてことを話さなくていい。


ラベルや立場やグループのなかのことに固執しているかも、と思う人は、試してみてはいかがでしょう。
旅の醍醐味って、やっぱり「誰でもないただの人」になれることだと思うんだ。