うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

挑戦 我がロマン  鈴木敏文 著

同僚に借りて読みました。セブン-イレブンの会長さんの自伝です。同じ「私の履歴書」シリーズでは過去にヤマト運輸二代目社長の自伝を紹介したことがありますが、ナウなカルマ・ヨーギの志に触れるのは、これはこれでまたよいもの。というか本来こういう本を多く読むべきなんですね。OLなんだから(笑)。
地震で節電が始まったとき、ヨガ友のゆきんこと道場の帰り道で「セブンイレブンができた頃はさ、7時から22時まで営業ってだけで感動したものだよね」という話をしたのを思い出す。そのセブン-イレブンのエピソードがいっぱいです。
なかでもとびっきりカルマ・ヨーギな記述をいくつか、引用して紹介しますね。

<21ページ 「経営の基礎を学ぶ」より>
 客観的なインタビューを行うには、誘導により回答者が心理的な影響を受けないよう質問の仕方が重要で、心理学の知識もまた不可欠だった。統計学と心理学は仕事で使いこなせるようになるまで、本当に猛勉強の毎日だった。

「使いこなせるようになるまで猛勉強」という姿勢がすてき。

<39ページ 「新入生歓迎の辞で痛恨のミス」より>
 ずっと忘れられずにいるのは、私にはどこか自意識過剰なところがあったのかもしれない。
それがあがり症の原因にもなっていたようにも思う。

「どこか」+「あったのかもしれない」というところがまだ自意識過剰で、こういうところを「かわいい」と思ってしまう。

<74ページ 「専従の人数と組合費に口挟む」より>
 人数が限られれば時間も限られ、自分たちの仕事において何が本質的に重要であるかを考えるようになる。マネジメントも心理学で考えるべきだ。

なんというか、もう完全に掴んじゃってるんだよね。aiko竹内まりやのように。秋元康は好きじゃないけど、いまはその究極だね。

<81ページ 「反対されても挑戦する」より>
 人間は何かにしがみつくと本当の力は出せない。一方で何かにしがみつきながら、もう一方で新しいことに挑戦することなどできない。自分は一歩踏み出したつもりでも、思うように前に進まない人は無意識のうちに何かにしがみついてはいないか。

自問しよう。そして、時の風が吹いたら踏み出そう。

<112ページ 「新しい需要は店の外にある」より>
 日本型のファーストフードを独自に開発する必要が出てきた。
 日本ならおにぎりやお弁当だが、まわりからは「そういうのは家でつくるのが常識だから売れるわけがない」と反対された。
 本当にそうだろうか。おにぎりやお弁当は日本人の誰もが食べるものだからこそ、大きな潜在的需要が見込まれる。よい材料を使い、徹底的に味を追求して、家庭でつくるものと差別化していけば、必ず指示される。そう信じて反対論を説き伏せた。

この頃、自動販売機で「お茶」が売られるようになって、同じように驚いたものだ。子供ながらに「おにぎりを買うなんて、まるでお母さんに愛されていない子供みたいでいやだなぁ」と思ったからよく記憶している。うちこも反対しちゃっただろうな。

<114ページ 「仮説と検証」より>
あるとき、私は赤飯の試作を一口食べて、赤飯本来の味でないことに気づき、担当者にどうやってこれをつくったのか尋ねた。
 答は、ご飯と同じ炊飯の生産ラインで「炊いている」とのことだった。
「なぜ、蒸さないんだ」
 私は、すぐにつくり方の切り替えを指示した。米を蒸すには、全国各地に分散するセブン-イレブン専用工場に、そのためだけの新たな設備投資をしなければならない。かなりの投資になる。それでも躊躇せず実行させた。
 材料のもち米も最も適したものを探させ、赤飯本来のつくり方に立ち返った結果、和菓子屋など専門店に引けをとらない商品が生まれ、大ヒットした。
 商品開発担当チームは、今ある設備を使っていかにおいしいものをつくるかを、それなりに一生懸命考えたのだろう。既存の設備を使えば、コストもかからず、効率もよくなる。
 しかし、それはつくり手の都合を優先した発想だ。コストがかかり、効率が悪くても、顧客が「おいしい」と思い、共感共鳴するものをつくっていけば、必ず、結果は出る。
「一生懸命やる」のと「正しいことをやる」のとではまったく意味が違う。

最後の一行、グッとくる。

<146ページ 「現場のポストを半減」より>
 これほど大規模な組織改革に踏み切ったのは、それほど危機感が大きかったからだ。
 私が最も危惧したのは、社員の間にはびこる悪しき経験主義と当事者意識の欠如だった。
 高度成長期に入社し、売り手市場の中で育った社員たちは、「店のことは自分たちが一番知っている」と思い込み、過去の経験と勘に頼って仕事をする。しかし、時代は買い手市場に変わったため、これまでどおりの仕事の仕方では成果が出ない。
 自分は今までと同じように一生懸命やっているのに、なぜ、成績が上がらないのか。それは、自分以外の人に問題があるのではないか。
 そう考え、売り場担当者は一つ上のチーフに問題があるのではないか、チーフはそのまた上の担当マネージャーのやり方がいけないのではないか、担当マネージャーは店長に問題があるのではないか、あるいは、商品部が「こんな商品しか入れてこないからだ」と、順に人のせいにして、責任転嫁していく。
 部下とはややもすると組織において自己正当化をはかろうとする存在であり、これが人間の心理だ。

ここはとてもジャック・ウェルチと似てる。他責の話。

<172ページ 「世界で最も対応が難しい日本の消費者」より>
 人間は環境が厳しくなり、困難に直面するほど、過去の経験に縛られてしまう。
 常に常識を変え、行動につなげることは本当に難しい。

もはや日本のクリシュナムルティ

<193ページ 「決済専門銀行構想に否定論の嵐」より>
 既存の銀行がタクシーとかハイヤーだったら、自分たちは今までにない乗り合いバスのような銀行をつくろう。そんな話し合いをしたのを覚えている。

わくわくするミーティングだなぁ。

<200ページ 「爆発点理論」より>
 強いニーズがある以上、きっと成り立つ。それは一つの信念だった。
 みんながいいと言うことは単純競争に陥りたいてい失敗し、みんなに反対されることはなぜか成功する。

バカにされたり反対されていたことを後になって賛成されると、それはそれで考えちゃったりする。まさに近頃のわたくし。

<203ページ 「日本流の頭を下げる接客」より>
 接客サービスでは文化の壁が立ちはだかった。中国では小さいころから、「安易に他人に頭を下げてはいけない」と教えられる。しかも、長く配給制が続いたため、買った側が礼を言っても、売った側が頭を下げるなど想定外だ。

グローバル化の昨今なので、うちこも中国人と仕事をすることがある。インドと似ていたり逆だったりして。面白いんだよねぇ。

<238ページ 「おわりに」より>
 単に "もの" を売る時代から、いかに顧客が共感する "こと" を生み出すか。今や消費市場では顧客に買ってもらうための知恵が問われる時代に突入している。

プライスレスなこと。


読書家だ多読家だといわれながら、こういう本を自分ではチョイスしない。貸してくれた人に感謝。

挑戦 我がロマン (私の履歴書)
鈴木 敏文
日本経済新聞出版社
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