うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

逆ジャイアニズムは意外と受け入れられにくい

まえからいつかこんなことを書こうと思っていたところに、たまたま日常がシンクロしました。
わたしには、ちょっとした心がけがある。


ジャイアニズムでいこう


だってこの世界は、マンガじゃないもの。
みんな、呼吸をしている。


お前のものは、俺のもの。


 ではなく


わたしのものは、みんなのもの。


わたしの学びは、みんなの学び。
だから、いつも「伝えかた」には気をつけているんです。


たとえばわたしが学んだことを発信したときに「いい気分」「いやな気分」が受け手に発現するとします。発現は、受けた側の人の心の中で起こることです。
そこから自我(エゴ)のリアライゼーションをするかしないかは、その人の心身のコンディション次第。


1)「いい気分」「いやな気分」
  ↓
2)どこが、なぜ
  ↓
3)そう感じた因子は自我の中の、どんな要素?
  ↓
4)本当の学びは、ここからです



「いい」と「いや」はただのコインの表と裏なんです。発生地点にいる同等の存在です。大切なのは、2からの作業。発現した感情にひもづく、自我の中の因子を見ようとするか、しないか。


わたしは批判されたり賛成されたりすることがあったとき、自分が「風」を起こしたという事実だけを認識します。それを相手が背中で受けたか胸で受けたか、というだけなんですね。攻撃的な発言なんて、しませんてば。ヨギだもの(笑)。
強さについては、あくまで表現のレベルの問題で、これも受け手の読解力によるものが大きい。
「これは自分に対する批判ではないか」という先入観を持っていれば、そのバイアスは強くなる。小さい風が吹いても痛がる「痛風」の人と、普通の状態の人がいるように。「しもやけ」なら、もはや風を感じない(笑)。


先日、内田樹さんの本を読み終えたのですが、冒頭でこの「痛風」なハートに向けたことわり書きがうわーーーっと書いてあって、おもしろい人だなぁと思いました。もちろん、共感の意味で。その気持ちがよくわかる。そして、やっちゃうのが新しい。本なんて出しちゃったら、きっとそうとう面倒くさいことになるのでしょうね。
加藤諦三さんは「人間的強さ・人間的脆さ」の中で「面倒くさいでっせ。この世界」という趣旨のことをちらほら書かれていましたが(チャーミング♪)、インターネットの普及で感染スピードが速まる今、先の過程の1と2だけで発現・発射される感情をフィルタする精神力が求められる。


言葉に責任を持つ、のではない。
そんなものは、受け手が変えてしまうものだからね。