うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

まだまだヘタだと思える時間

近ごろ「アンチ・ロッテンマイヤー化プロジェクト」というのを勝手に立ち上げていて、日常でおかしな義憤が発動しないように工夫をしています。
仕事で経験が増えてくると「なんかこれ、ここで失敗するかも」とか「そこを先に考えておかないと、あとでひっくり返されるかも」ということを予見してしまうような錯覚があって、それが「予言めいた思わせぶりな物言い」になってしまいそうでヒヤリとする。
「うわああ”あ”あ”、わたし、ロッテンマイヤーかよ! みぎわさんかよ!」という気持ちになると同時に、なるべくそういう予見が錯覚であることをリアライゼーションせねば、と。


 めんどくさい地雷の多いおばさん

 めんどくさい地雷の多い学級委員


花沢さんは、アリなんですけどね。花沢さんは学級委員じゃないからかな。
だいたい義憤というのは「わたしだったらこうする」みたいな、頼まれてもいない架空の依頼から発生する。「頼まれてもいない」のが寂しいのだと思います。
油断すると伸びかねない「エッヘン」と「オッホン」の芽。こういうものの存在をズシリと感じるのはもっと後の年齢になってからだと思っていたけど、そうでもなかった。
そんな危機感を感じる日々ですが、まだまだ練習の必要なことをすると、なぜか不思議と心が満たされます。うまくできないことがあると、「できるようになりたい」という元気がわいてくる。これがなくなると「さすがですね」と言ってもらえる場所を守ろうとする方向へ意識が流れてしまいそう。この「まだまだ」のタネ火を大切につながねば…。
今日は中年の渇愛問題について考えてみました。