うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

笑い飯のルミネライブへ行ってきました

笑い飯
今日は仕事のあとに、ヨガ仲間のゆきんこと新宿の「ルミネtheよしもと」へ「笑い飯」の単独ライブを観にいきました。
ここのところ自分で遊びに行く予定を立てる気力が全くなく、休みの日のヨガだけで精一杯の日々でした。なので、こうやって決めつけて連れ出される遊びが今の自分にジャスト・ミート。二つ返事で「行く」と言ったとき、ゆきんこが少しびっくりしていましたが、「笑い飯」でなければ行く気にならなかったと思う。


行ってみたら、わたしの番号の席には赤の派手なカバーがついていて、「愛のパワースポット B-20」という席でした。もしご利益があったら、これだと思ってください。ハレー彗星並みにしか、そんなことはないですが。


前から2列目だったので「笑い飯」のお二人の様子がとてもよく見えたのですが、不思議なくらい「見せる側として」みたいな雰囲気がない。見る側との関係が異常にシームレス。ネタの中では当然各自のキャラクターやエピソードを前面に出したりするのだけど、そこにいる二人の存在にまったく圧のようなものがなくて、好感をもちました。
「どうですか? 楽しんでますか?」という確認がない感じがいい。
「楽しむのはあなた。笑いはあなたのなかから発現する。ぼくらはいま、ここに立ってネタをやっている」というくらいの自然さ。もちろん「笑わそう」としてくれているんですが、「ウケてくれないとやってらんない」みたいな、どっちが見てるのかわからねぇ、みたいな瞬間がなかった。
いちばん最後の「いかたこ」のネタが面白かったです。


仕事をしていて思うのですが、一介のごくフツーのサラリーマンですら、プレゼンをするときに「見せる側」「説明する側」の境界線を引いたりする。主語を自分にして、主役になりたがる。「おかげで僕はやる気が出ました」とか、うちこは正直どうでもいいと思っていたりします。
主語は消費者。消費者が喜ぶことを、どうするか。「あなたのやる気に合わせて仕事を動かす気など毛頭ありません。わたしが動かしているのでもありません。世の中がそう流れているところに応えるか応えないか、ってだけ」というのが本音だし、「あなたが選り好みした仕事は他の人のところへ行き、選り好みするスタンスにあわせた程度の仕事だけが、あなたのところへやってくるでしょう」というのが世の摂理だと思っている。


今日の「笑い飯」のお二人は、淡々とやる仕事ぶりや「今はこのようにやっています」というスタンスでの佇まいがとっても素敵に見えました。
きっと世の企業戦士であっても、よいお仕事をされるかたたちなのだと思います。