うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

「ブルータス、お前もか」の男性心理と女性のリアリズム

今日は、最近気づいた「男性に強く見られる心理の傾向」について書いてみようと思う。
7月に入ってから、男性の中にポツンと一人でいる会議が多くなって、日々いろいろな気づきがあるのですが、もしかしたらこういうところが圧倒的に自分と違うかも、ということがある。
それは、「実行した事実の評価よりも、自分を信頼しているかどうかを重視する男性が多い気がする」ということ。
仕事ができると "言われる" 人には2種類いる。「行動が伴う人」と「理解力だけはある人」。うちこは、圧倒的に前者しか見ない。理解力だけはある人も、ない人よりは当然よいのだけど、「でも、できてないよね」というのが結論で、「理解力だけはある人」には、「理解してくれてありがとう」とは言うけれど、評価すべき事実はない。
理解したことを表現することが上手な人もたくさんいるけど、それは「言い換えが上手ですね。以上」だ。


でも、サラリーマン社会で見る現状には「理解力だけはある人」に簡単に信頼を寄せて、事実を待たずにどんどん押し上げていく状況を見ることがある。「この人が圧倒的に、やったね」という事実が一つもないのに「デキる」扱いをされる人があまりにも多くて驚く。


 ブルータス、お前もか


という、信頼していた人物に裏切られたことを表す表現(参考:Wikipedia)があるけれど、これってとっても男性的。と思う。
女性同士の場合だと、「なんかいまそういう気流じゃないのね」と解釈しあうことが多くて、お互いにあまり「理解しています」というアピールをしない生き物でもあると思う。結果を出したら、「やったのね! イエーイ」でおしまいだ。
なのだけど、男性と話していると、途中で「理解しています」という工程が挟まれることが多い。求められることも多い。
仕事というのは、「はい。あなたの理解力はわかりました。で、やることやって、事実としての結果をみますわ」というところまででワンセットなのが当たり前のはずだと思うのだけど、「あなたの理解力はすばらしいと思います」だけで成果と受け取って、行動を起こさずにそのままにできてしまう人がいる。


逆に、「理解しました」ということの確認のためのキャッチボールをした後、その後行動を重ねている間に、「こいつはデキる」という評価がフライングして発信されたりするのが不思議だ。「いまやってる最中ですが」と思う。


 男性のほうが、早い段階で「信頼」の確認がないと、不安がる?


というのが最近の考察。
男同士の暑苦しい友情とかも、こういうのから生まれている気がする。
見ているこっちは、勝手にやってください。黙ってやってください。と思う。
いちいち、「俺たち通じ合ってます」というダブル自己紹介はいらない。
ヨギ的には


 それマーヤですよ、マーヤ!


と内心思っている。
本当に人と仲良くなれるきっかけって、「一緒に行動をしながら(もしくは別のところでも同じ行動をして)、感じたことをきっかけに共鳴しあったとき」しかないと思う。


 行動を見る前に、信頼を感じられてしまう。


というのは、どういうことだろう。
やさしいのか、甘いのか、弱いのか、適当なのか。


 信じるな、疑うな、確かめろ。


というのはヨギの沖正弘先生の言葉なのだけど、これは、圧倒的に男性に向けられた教えのように感じる今日この頃です。


そしてもうひとつ、最近気づいた。
女性のほうが、「裏切られた」という日本語を圧倒的に使わない。「だまされた」ということが多い。「裏切られた」というのは、「すすんでだまされました」というのが真意なのかもしれない。女性は、「すすんでだまされること」を楽しめる生物なのかもしれない。