うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

伝説の経営者の本に登場するヨガ青年の話

ここ数日の間、仕事の関係で「ウィニング 勝利の経営」という、ジャック・ウェルチ氏の本をスピード消化しました。米国最大の英文ビジネス誌『フォーチュン』で「20世紀最高の経営者」に選ばれたことのある有名な人なのですが、ここはヨガブログなのでマネジメント論には主眼を置きません(笑・いちおう末尾にリンクは置いておきます)。

仕事のために読んだ本なのに、今回ばかりはものすごく面白い流れでヨガの話が出てきて面食らった。何年ごろの話かはわからないのだけど、非常にアメリカらしいエピソード。びっくりする流れで「ヨガをする人」が登場します。「けちなやつ」としてね。
アメリカ式の業績評価が背景にあり、引用文中のなかの「ポイント」という表現は業績評価のことを指しています。70年代なら「うわ〜」だし(参考)、80年代なら「なるほど、こういう人が出始めた頃なのか」だし、90年代なら「ただ、ただ、目を覆いたい」。こんなエピソードにヨガが出てくるのが、悲しくもリアル。最悪の流れでヨガをする人が登場して、いろいろな視点で興味深かったです。甘んじて受け入れてこの実例を読みましょう。
自分がここに登場する「カール」の同僚だったらどう思うか、上司だったらどうするか。そんな目線で読むと面白いかもしれません。


このエピソードは、「ウィニング 勝利の経営」の「仕事と家庭のバランス」という章で、ジャック・ウェルチ氏の友人女性に起こったこと。友人女性とその部下の話です。

 彼女は急成長をつづける会社の一部門で六○人の部下を持っている。
 数年前、彼女はチームの一人(シンシアと呼ぶことにしよう)で二人目の子供を産んだばかりの女性から、金曜日に在宅勤務をしたいと言われた。彼女も子供を持っており、すぐにイエスと答えた。彼女はシンシアをよく知っていた。会社に八年勤続のベテランでこのまま目覚ましい成果を出しつづけてくれるだろうと確信していた。過去において彼女は常に成果を上げていた。実際、彼女は勤勉に、整然と働く、生産性の高い人だった。
 一週間かそこらすると、シンシアが金曜に家で働くというニュースがオフィス中に広まった。すぐに若い男性、カールと呼ぼう、が彼女のところにやってきた。彼は入社して一年ほどで目立った業績を上げていなかった。彼も金曜日には自宅で働きたいと言い出した。「ヨガを極めたいのです」と彼は説明した。
 彼女はノーと言うと、会話はぎこちなくなった。「あなたはあなたの価値観で判断するのですね。母親の役目のほうがヨガよりも価値があるって。だけれど、私が子供を産むわけではありません。私にとってのヨガの価値は、シンシアの子供の価値よりも低いと、いったいどんな立場で言えるのですか?」とカールは言った。「失礼。でも、それが私の下した判断です」と上司は言い返した。
 このやりとりがオフィスのゴシップで広まり、カールの仕事仲間たちは一週間というもの公平性と価値観について議論を交わして仕事にならなかった。彼女はなぜもっと直接はっきりと答えなかったのだろうと後悔した。カールが金曜日自宅で働くのを許可しなかったのは、月曜から木曜のあいだに彼がオフィスできちんと仕事ができるということを証明していなかったからなのだ。
 個人的な事情はともかっく、私の友人の判断はヨガ対赤ちゃんではなかった、それは価値観の問題とまったく関係ない。成果の問題だ。カールがポイントをまったく貯めていなかっただけのことだ。
 これはあなたにとってどういう意味を持つか? 仕事と家庭の両立を図りたいのなら、それはどの会社でも同じ、自分の手でそれを獲得することだ。そのプロセスには時間がかかる。


(中略)


 ヨガの練習のために金曜日は自宅で働きたいと言ってきた社員の上司のことだが、このことが経営上層部の耳に入ると、彼女は彼の要求に同意せざるを得なくなった。会社のポリシーは「柔軟に働く配慮を平等にする」ということだったからだ。仕事の成績はまったく無関係になってしまう!
 このヨガ青年が会社で一年ともたなかったのは驚くことでもないだろう。会社に四日しかやってこず、彼の業績は悪化の一途をたどった。それよりも彼の破滅を決定的にしたのは、職場で彼は「でも会社の方針は……」というタイプだと烙印を押されたことだ。
 そういうタイプ、わかるだろう?
 彼らは休暇の日数をきちんと数える。半日働いた日、休日出勤した日が何日あるかを紙に書いておく。上司と同僚に、会社の残業に関するポリシーを思い出させる。彼らは楽しんで仕事をしているわけでも、勝つことに情熱を傾けているわけでもないことを、いつも見せつける、けちなやつらだ。時間給で働いているのと変わりない。
 だから彼らはポイントを十分に貯めていないと思っていい。一対一で話し合いながら決めていくカルチャーの外で働くルールブックで動く人間は、自分たちの持つ「権利」そのものでつまづくことになる!

コメントする視点はたくさんあるのですが、まず、昨今の日本ならこういうこと言う人が本当にいそうだなと思う。「TOEICの受講を推進していながら、英語の勉強をさせてくれないんですか?」とかね。ヨガじゃないことで多そう。でもヨガでこの話が出ちゃうのが、実に数十年前のアメリカっぽい!


わたしがカールさんの同僚で、「うちこさん、ヨガやってるんですって? ずいぶんと本格的だとか」と言われたとしても、わたしの答えは「え? ぜんぜん本格的じゃないよ。たまにやるくらい。もともとソフトボールをしていて股割とかしてたから、柔らかいんだよね〜」とか、そんなところじゃないかと思います。


同じくわたしがカールさんの同僚で、別の人から「カールさん、ヨガのために週一の在宅勤務権限もらえたらしいですよ」と言われたとします。わたしの答えは「なんで週に一日まるまるなんだろうねぇ? 毎日やるほうがいいのに。私だったら、週に2日は10時半に来てもいいよ、といわれたらちょっと嬉しいかな。マイソールっていう朝の練習に通っちゃう。 でも一日おきでじゅうぶんだなぁ。っていうか、早起きすればいまでもできる話なんだけどね。テヘヘ。でも夜のビールも楽しみだからねぇ」と答えると思うんだよなぁ。


そして、わたしがカールさんの上司だったら……。
同じ質問になるでしょう。「なんで金曜だけなんですか? ヨガ中はマントラでもアーサナでもメディテーションでも、当然仕事と両立ができない集中すべき瞬間なわけですよね? なぜ毎朝その時間を捻出するのではいけないのですか? 金曜のカルマ・ヨーガの時間は、どこにあるのですか?」と。


 面倒な上司ですね(笑)。



実際、「権利の主張」は逆効果のことのほうが多いと思います。
カールさんの上司がわたしだったら、金曜に休めないだけでなく、ほかの曜日のヨガへの取り組み、ヨガへの向き合い方まで徹底的に問い詰められてしまいそうです。カールさん、危うし!


ヨガのために誰かを悪者にしたり、ヨガを題材に価値観のバトルをするなんて奴ァ……
ジャックさんは「けちなやつらだ」とおっしゃっていますが、わたしならなんて言うかな。
たぶん、衝動的に、こういうことを言いそうです。


 も〜! そんなこと言ってるヨガ野郎は、
 カカ・アーサナでつんのめって鼻血ブーになっちゃえ!