うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

心を開け放せば開け放すほど、多くの光

せいふぁーうたき
朝の通勤で読んでいる「SAYING OF SRI RAMAKRISHNA」のなかにあった「光」のお話。二つの切り口から見ることができて、面白い。日本はパンチラに興奮する国ですから。
ありがたいインドの教えの本を、こんな風に表と裏から見てしまう、表側はうちこちゃん、裏側は「中の小さいオッサン」です。
訳はかなり要約したうちこ訳です。

<667個目の法話 「How the Divine Reveals Himself」の章より>
There is a dark room,and rays of light are coming into it from outside through a small chink.Now, the idea of light that a man inside will have,will be just commensurate to the rays of light.If there are a greater number of chinks in the doors and windows,the man within will see more of light:and if he flings open the doors and windows,he will get still more light.But then it is he who stands in the open field that receives the maximum degree of light.Just do so the Load reveals Himself to the devotees according to the varying capacities and natures of their minds.

暗い部屋に、すき間から光が差す。人の心に差すアイデアも、同じようなもの。あなたが心を開け放せば開け放すほど、より多くの光が差す。
もし開かれた地平に立っていれば、全方向から最大の光にさらされる。それは、心の制限に対する変化であり、自身のこころを明らかにすること。



裏側から、受動的に見てみる。
でも、いきなり、ドーンと強い日差しに当てられたら、やけどする。
きっと、ちょうどよい光のバランスというのがあるのだろう。
弱い光とともに、こころと一緒に理性を少し伏せてする秘めごともあるだろう。


そのとき、どんな光の下にいるか、って、物理的な太陽光や電気の明るさだけではなくて


 いま、自分はどんな光の当てられかたをしている?


ってことでもある。
うちこは以前、職場の先輩に「与えられた舞台で求められた踊りを踊るときの、割りきりがいい」と言われたことがある。そのときは「毎日稽古してるからね!」なんて冗談で返したのだけど、仕事って、こういう面がある。



 どんな角度から、どんな強さで光が当たっているか。



小さな光、間接的な光、いろいろある。
持ち上げられているとか注目されているという意味ではなくて、角度と強さ。色もある。
当てられる光と自分が開け放す心の量がうまくバランスすると、「やりすぎ」でもなく「足りなく」もなく、ちょうどよいのかもしれないな、なんてことを思いました。


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