ブックオフで富豪買いしたなかの一冊。以前ご紹介した「空海! 感動の人生学」と同じ著者さんの本です。
この本はずいぶん前に買ってストックしていたのですが、今月お写経&読経へ行ったときに参照するべく配られる紙が不足していたようなので、はじめてなにも見ずに般若心経を唱えてみたところ、意外といけてしまったので(「音節」として身体が覚えていたようです)、いまさらながら引っ張り出して読んでみました。
かみくだきまくってますね、というくらいわかりやすさを重視して書かれているなと感じる本なのですが、その対象が小学生なのか高齢者なのか、いまひとつつかみきれませんでした。ひらがなの使い方では小学生向け? と思うのですが、サラリーマン社会でもこういうことがありますね、といった書かれかたを見ると、「まったく、若いもんは」というエゴからいいかげん定年して欲しい定年退職以降の人向けのメッセージのようにも思えます。
このような感覚は、以前紹介したことがある、臨済宗円覚寺派管長さんが書かれた「即今只今(そっこんただいま)」という本にも感じたのですが、お坊様たちは普段お寺に来る人たちに説法をしながら感じる、「このくらいの言い方をしないと伝わらないかな」という感覚で書かれているのかな、と思います。
ではでは、何箇所か紹介、いきます。
<30ページ 観自在菩薩 より>
「観自在菩薩」は「観世音菩薩」ともいいます。略して「観音さま」です。
仏さまの世界にも、階級があります。「阿弥陀如来」や「薬師如来」のような「如来さま」は「大将」の位です。
「地蔵菩薩」や「弥勒菩薩」のような「菩薩さま」の位は「中将」の位です。
「不動明王」や「愛染明王」のような「明王さま」は「少将」の位です。
うちこの好きな仏教神様は不動明王、観世音菩薩、虚空蔵菩薩。なんとなく如来様クラスになると身近な感じがしません。不動明王さんに萌えているとき、「まー、うちこちゃんたら、女子〜♪」と思います。
<75ページ 無眼耳鼻舌身意 より>
人間はときどき、つまらないことを考えたり、したりします。
その人の心がけが悪いと、体中の無数の穴のなかから、なけなしの知恵や知識などが、どんどん漏れていきます。
だから、われわれ凡人のことを、仏教では「有漏(たくさん漏れる)」というのです。
"忙しい忙しい" と年中とび回っている人(忙しいという文字は「心を亡くす」と書きます)に「有漏有漏(うろうろ)するな!」というのは、このことでしょうね。
はんたいに、体の穴から知恵が漏れない人のことを「無漏」といいます。仏さまや菩薩のように「悟りを開いた人」のことをいうのです。
だいたい「忙しい」の語りが出てくると書いてますが、うちこは「小さな計らいが亡くなる」という漢字と思っています。暇な人ほど無駄な計らいが多いように思うので。
<111ページ 無罣礙故無有恐怖 より>
(転法輪経からの引用)
涅槃へ行くには、二つの偏った道を避けねばならぬ。その一つは快楽に耽溺する道であり、他の一つは苦行に没頭する道である。この苦楽の二辺を離れた中道こそ、実に涅槃へ至る正しい道である。
「やりすぎは、だめ」って、ジャッキー師匠も言ってた!
<117ページ 依般若波羅蜜多故 より>
般若波羅蜜多行の修行をして、涅槃に入る菩薩の行動基準を、「四摂事(ししょうじ)」といいます。
その第一は「布施」ということです。
布施とは布施をほどこすことではありません。貧しい人にはお金を施し、飢えている人には食物を施し、学問のない人には知識を施し、手に職のない人には技術を施してあげるのです。
施すものを何も持っていないときは、やさしい目や顔で、思いやりの心だけでも施してあげることです。
その第二は「愛語(あいご)」ということです。
「愛しています」などと、歯の浮くようなお世辞をいうのではありません。まごころのこもった言葉を話すのです。真心から出た言葉には、人は感動します。
その第三は「利行」ということです。
すべての行為が、世の中の大衆の利益につながるような行いをするのです。決して、自分や自分の身内だけの利益だけを考えてはいけません。不特定多数である大衆みんなが喜ぶようなことをすることです。
その第四は「同事」ということです。
相手と同じ目の高さになって、ものを見たり考えたりすることです。
大臣と話をするときは、大臣と同じ目の高さでものを考え、キリンと話すときはキリンの目の高さでものを見て、子どもと話すときは子どもの目の高さまでしゃがんで話してあげるのです。
それが、相手を差別しない大事な心がけなのです。
このような行動基準があってこそ、初めて立派な菩薩行といえるのです。
ほどこしのバリエーションが素敵。「愛語」って、いいですね。
<125ページ 故知般若波羅蜜多 より>
菩薩は「五大願(ごだいがん)」という五つの願いをかけました。それは、つぎのような願いです。
一、「衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)」……あらゆる人を救わせてください二、「福智無辺誓願集(ふくちむへんせいがんしゅう)」……あらゆる知恵と福徳を集めさせてください
三、「法門無辺誓願学(ほうもんむへんせいがんがく)」……あらゆる法門を学ばせてください
四、「如来無辺誓願事(にょらいむへんせいがんじ)」……あらゆる仏に会わせてください
五、「菩提無上誓願証(ぼだいむへんせいがんしょう)」……かならず涅槃に到達させてください
これ、いつもお寺へ行くと唱えます。最後に「自他法界同利益」という行があって、「6個じゃね?」と思っていたのですが、菩提無上誓願証までで五つなのかぁ。
うちこの行きつけのお寺では、「菩提無上誓願証」の「証」は「言登」(ごんべんに、のぼる)で記載されています。
<150ページ 般若心経 より>
観世音菩薩は、私たちが般若心経を読んで、考え方をこんなふうに変えてほしいと、三つのことを願っておられます。
まず第一に「みんなが苦しみを離れて、楽を得るように」という願いです。いいかえれば、苦しいことでも楽しんでできるように、ということです。
たとえば人と仕事をしたときに、自分が楽な仕事をして相手に苦しい仕事をさせれば、体は楽でも心は苦しみます。反対に、相手に楽な仕事をさせて自分が苦しい仕事をすれば、仕事は苦しいけれども心は楽しいものです。
「自分が楽な仕事をして相手に苦しい仕事をさせれば、体は楽でも心は苦しみます」という感覚、とっても大事ですね。
ちなみに第二は「みんなが迷いを転じて、悟りを開くように」。第三は「みんなが悪いことを止め、善いことをするように」だそうです。
この本はかなり初心者向けの解説なので、日本一有名な長編マントラを学んでみたい、という人に気軽におすすめできます。仏教にけっこう足つっこんじゃってるわぁ、という人には少し物足りないかもしれません。