うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

名を狩る人

今日は、「うまいこといってくださる」と思ったできごと。
このブログの常連読者さんで、ウィーンでヨガをされているかた(「おふら」さん)が「こんど帰国します。うちこさんの行動エリアの近所にいます」とコメントをくださったのをきっかけに、そんなこんなで、今日はそのかたとお茶をしました。


約1時間半のヨガ談義。
そのなかで、わたしがヨガ道場で経験する「普段の生活ではあまり経験できないこと」についてお話していたら、おもわず膝を打つレスポンスをいただきました。


道場でヨガを始めたばかりの生徒さんの中には、師匠に初めて会った瞬間、異常なリスペクト反応を示す人がいますそんな場面に出くわすことが、たまにあります。
極端な対応の区別をする人もいて、わたしの見た目が簡素なキャラというのもあると思いますが、わたしがなにかご案内をしても、奴隷のような、小娘のような扱いとでもいいましょうか、「笑顔」もなく「はい」の返事もなく「ああ」といった具合に、扱われることがあります。



以前、その区別がとてもわかりやすい人がいて、「このひと、区別強度高いなぁ」くらいにしか思っていなかったのですが、その人が師匠に出会った場面に出くわしました。
ものすごく緊張して、いきなり「せっ、せんせいっ!」という豹変っぷり。、師匠はいつものように、強気で適当です。「あなたなにしに来たの?」とか言ってます。ほんとうに適当です(笑)。


「今日は、先生が教えてくださるんですね!」(その人)
「だからなに。ポーズはうちこちゃんの見て、真似しなさい」(師匠)


稽古中は、いつものように、師匠もうちこも適当です(笑)。ふざけたことを言い合いながら。なんてことも、よくある光景です。
なのですが、その人の稽古の後のわたしへの態度の豹変ぶりが、すごい……。
さっきまでの私と、いまの私は、なにも変わっていないのに。



という話をしたら


 おふらさん:いますね。名を狩る人。


 うちこ:うまいこと言いますね!



SNSは苦手だし、twitterにも同じようなことを感じる。道場にいると、たまに差別的な対応を受けることがあって、よい経験ができる。さっきの人の場合は、奴隷から女神の扱いくらいに、変わった。
たまたま何度か連続して週末に道場で一緒になった男性に「いつもここにいるよね? 生活できてんの?」と言われて驚いたこともある。「いつもいるわけではありませんよ。たまたまです」とお答えしましたが、もし「そうなんですぅ。大変なんですぅ。」と答えたら、どんなことが起きていたのかな。


名のある人、名もなき人。みんな名前はあるのだけど、別の質量で測られる「名」というものがあるみたい。
「ただの女」でいられる場所を、あちこちに持っておきたいものだ。