うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

リグ・ヴェーダ讃歌 辻 直四郎 訳(その1:神様系)

インドにいる間、ずっとこれを読んでいました。
ちょうど旅の前に古本屋で見かけて入手。小さな文庫なのですが内容はこってり。行きの電車から帰りの飛行機までこれにつきっきりで、やっと読み終えました。そして、あとがきと前書きに「インド文明の曙」も理解を深めるためにあわせて読んで欲しいとあり、帰国後さっそくその一冊にとりかかって、これらワンセット、という感じで読了。
読みはじめからいきなり「これを紹介するのは大仕事だなぁ」と思っていたのですが、ゴールデン・ウィークがあるのでそれまでになんとか、と思っていました。
先に姉妹本である「インド文明の曙」の感想へのリンクをつけておきます。
インド文明の曙 ― ヴェーダとウパニシャッド(1〜9章)
インド文明の曙 ― ヴェーダとウパニシャッド(10章)
ウパニシャッドから、3つの小話(「インド文明の曙」より抜粋)

初回の今回は、この本全体の概略と、前半の「神を題材とした讃歌」を紹介します。
リグ・ヴェーダ」は前1200年代頃にまとめられたものだそうで、歴史背景はその時代です。大昔ですが、実際インドへ行ったりインド人の価値観に触れると、この時代の価値観がかなりそのまま受け継がれて今に残っていることに驚くくらいです。
以前インドの至宝が「霊性」であると語られているエピソードを書いたことがありますが、なるほどなと。古くからこのような言い伝えがライフスタイルの根底にある。そして、かなり面白いです。
インドに興味がないと読みきるのが大変な本かもしれませんが、この面白さをなんとか伝えたいなと思っています。いつもの「うちこ式・現代日本人ヨギのインド脳」でコメントを入れていきますので、むずかしいなと思ったらコメントを先に読むとよいかもしれません。解釈に奥行きのある文章も多々出てきます。そこは、うちこなりの「ヨギとしての憶測」が読みながら展開しまくり。そういう読み方の面で、面白いところがいっぱいありました。
地域やカーストの多様性については勝手な解釈で感想を書くと、まるめておしつけるようなインプットになりかねないので、できるだけそうならないようにコメントします。


引用紹介に入る前に、まず全体について、感じたことを箇条書きにしてみます。

■自己中心的な神だのみ、神ゴシップのオムニバス。
■なんだけど、そのなかにヨガ的思想がしょっちゅう出てくる。
■インドラ>アグニ>ソーマ の3つがこのような優先順位で崇拝対象の3強。
■特に後半「なんでそんな讃歌が?」というものがたくさん登場します。
■びっくりするくらい官能的な話も出てきます。
■牛はこの頃から、めちゃくちゃありがたい存在です。
■「しっくりはまる」などの比喩に「関節」などの身体の部位がよく出てきます。
■読み方の感覚的には、「讃歌」なので
 ・明るいネタは「ひとつ人より力持ちぃ〜♪」といった歌のようであり……
 ・阿修羅などのコワイ系な神様のネタは「ひとつ人の世の生き血をすすり、ふたつ不埒な悪行三昧」といった桃太郎侍のようであり……
 ・儀式や行い、できごとについて語られた讃歌は清少納言の「うつくしきもの」「にくきもの」のようであり…
 ・庶民的な日常について語られた讃歌は「サラダ記念日」のようであり……
そんな感じです。
と思うと、かなり親しみやすいでしょ。
うちこはインド古典・インド教典慣れしているほうだと思うのですが、こういう讃歌や散文形式のものは、日本の先に書いたようなものを読むのと似た感覚で読んでいます。


ではでは、今日は前半の「神様系」の箇所を紹介します。(※のところは、訳者さんの注釈)

■スーリア(太陽神)の歌
【その一(一・五○):十一】
今日昇りつつ、ミトラの威力をもつ神(スーリア)よ、最高の天界に登りつつ、わがフリード・ローガを、スーリアよ、わが黄疸を滅せ(癒せ)。
 ※第11〜13節は、黄疸に対する呪法に関する。
 ※「フリード・ローガ」意味不明な病名。「胸やけ」?

基本、神に対して命令口調です。というか、「そうあるべきものであるからして!」というニュアンス。
病名とか、身体の部位名がとにかく多く出てきます。宇宙についての解釈理論がなかった時代なのですが、先に身体小宇宙のなかにその喩えを見出していたようです。ヨギ的には、いちいちこれらの喩えが気になったりします。

サヴィトリの歌
【冒頭説明より】
サヴィトリは朝の太陽として万物を活動に促すばかりでなく、夜の太陽として夕暮れに一切を休息に導く。
なお後世神聖視されるにいたった詩説サーヴィトリー(または韻律の名によってガーヤトリー)は、この神の名を冠するが、独立のサヴィトリ讃歌には属していない。「われら願わくは、サヴィトリ神のこの愛でたき光明を享受せんことを。その彼はわれらが詩想を助長せんことを。」(三・六二・一○)。


【その二(二・三八):六】
利得を求めて日中拡がり散りし者は夕暮れに帰り来たる。すべての遍歴者の願望は家路に向かえり。各人は仕事を未完のままに捨ておきて帰り来たれり、神聖なるサヴィトリの掟に従いて。

働くことを終了させ、休息に導く神様。
「ガーヤトリー・マントラ」でおなじみのガーヤトリーさんのお名前が出てきたので、メモしました。

■アーパス(水の女神)の歌
【その二(一○・九):四】
われらが幸福のために、女神アーパスは、助力のため・飲用のためにあれ。アーパスは幸福と繁栄とをわれらに注げ。


【同上:八】
アーパスよ、運び去れ、わが身のいかなる過失をも、またはわが犯したる欺瞞をも、あるはまた偽りの誓いをも。

水よりも圧倒的に火(アグニ)の信仰に寄った内容が多いのですが、飲み水として、罪を清める水として、あがめられている記述。


■アグニの歌
【その五についての冒頭説明より】
山火事の描写。


【その五(一○・一四二):七】
こは水の注ぐところ、海(わたつみ)の安ろうところなり。ここをおきて他の道をとれ。それによりて意のままに進め。


【同上:八】
汝の来たるところに、去り行くところに、花咲ける草をして生長せしめよ。また池をして、蓮華をして。こは海(わたつみ)の住家なり。

「山火事さん、ここは避けてくださいね」というノリが、ちょっとかわいい。
「ここは海さんのところなんだから、来なさんなよ」というニュアンスもかわいい。


■羅刹の殺戮者アグニの歌(一○・八七)
【冒頭の説明】
ラクシャス(羅刹)は人畜に危害を加える悪魔の総称として用いられ、ヤートゥ・ダーナはこれと同意義に使われることもあるが、特に不法な呪術を行い、悪魔視される者を指す。ここでは前者を羅刹、後者を邪術師と訳して区別した。これら魔性の妖怪を退治する手段としては、火神アグニの焚殺力に訴えるのが最も有効と考えられた。


【二】
金属(かね)の牙もつアグニは点火せられて、火炎もて邪術師どもに触れよ、ジャータ・ヴェーダス(アグニの称呼)よ。舌もてムーラ(「根」、性器?)の崇拝者どもを捕捉せよ。生肉を食らう者どもを拉致して口中に押し入よ。


【五】
アグニよ、邪術師の皮膚を破れ。殺傷する電撃は激烈なる力(火炎)をもって彼を殺せ。彼の関節を打ち砕け、ジャータ・ヴェーダスよ。生肉を求むる食肉獣はすでに切断せられたる者を分散せしめよ。


【一○】
人間を見守る汝は、部族の中なる羅刹の魔力を注視せよ。彼(羅刹)の三個の突端(頭・中・根の三部分)を破摧せよ。アグニよ、激烈なる力もて彼の肋骨を破摧せよ。邪術師の根を三重に引き裂け。
※根:原語 Mula 「根の崇拝者」と関係があると思われる。


【一二】
アグニよ、その眼を歌人に授けよ、それにより汝が家畜の蹄を傷つくる邪術師を見破るところの。アタルヴァン(半神の祭官族)のごとく、天的光明をもって、真理を歪曲し・理解なき者を焼き滅ぼせ。


【一三】
アグニよ、今日一対の人々(夫妻?)が詛うこと(悪口)、歌人たちが発する言葉の有害なる部分、心中の憤怒より生ずる矢の射出、それをもって邪術師どもの心臓を貫け。

アグニが登場するあたりから、穏やかじゃなくなってきます。アグニは単純に「火」についてさしていることもあれば、アグニという神をさしているところもあり、わかりにくいと訳者さんもおっしゃっています。
ヨギ的には「出たねムーラ」ってところと、関節だの肋骨だの、技の指示が明確すぎませんか。というところが気になります。
そしてうちこのメモ帳には「北斗の拳ぽい」とひとこと書いてありました。

■アグニ・ヴァイシュヴァーナラの歌
【冒頭の解説】
万人に共通する火、普遍的なアグニ。この称呼は元来ほとんど全くアグニの独占するところであるが、アグニの様相の一つと認められ、独立の神格と見なされるにいたった。
この名のもとに、アグニは一○数篇の讃歌を享受している。
※「万人に共通する」を「一切の活力を有する」と解する学者もある。


【その一(三・三):七】
アグニよ、いみじき子孫に富む寿命の授与のために目覚めよ。滋味の力によって膨張せよ。栄養をわれらにもたらして輝け。活力を鼓舞せよ、しかも高大なる力を、不眠の神よ。汝は神々の司祭者なり、勝れたる賢慮に富む・霊感の言葉の詩人なり。

アグニ最強〜、アグニ・バンザーイな感じです。めらめら。

■ソーマ(神酒)の歌
【冒頭の解説より】
ヴェーダ祭式の中心は、浄化した神酒ソーマを祭火に注いで諸神に捧げ、残余を祭官その他の参加者が飲むにあった。同名の植物の茎を石でたたき、圧搾して得た液を羊毛の篩いで濾し、木槽に注ぎ入れ、適度に水を混じ、牛乳等を加えて造った一種の興奮飲料で、詩人はこの調理過程とソーマの効能とを極度に誇張し、神話化して歌い、一一四篇をふくむリグ・ヴェーダ第九巻は、まったくソーマ・パヴァマーナ(「自身を浄化するソーマ」)の讃歌から成っている。
(中略)
神としてのソーマは祭祀と密着し、植物・神酒としての連想が支配的であるため、擬人法は発達しなかった。


【その七の冒頭解説】
第九巻を構成するソーマ・パヴァマーナ讃歌と異なり、簡略なソーマ圧搾法を予定している。臼と杵の使用を挙げる点は、アヴェスター聖典におけるハオマの圧搾法に共通する。


【その七(一・二八):二】
陰陽両根(?)のごとく、圧搾の両器具(杵と臼?)の調えられたるところ、そこに汝は、インドラよ……(リフレイン)。


【その八の冒頭解説】
ソーマの効用を讃美した歌。


【その八(八・四八):五】
名声に富み・自由を与うるこれらソーマの滴、汝らの飲まれたるとき、革紐の車におけるがごとく、われを関節において繋ぎ合わせたり。これらソーマの滴は、われの足を捻挫より守るがごとく、またわれを骨折より遠ざけよ。

ソーマはこの後もたびたび登場するのですが、ほかの崇拝対象に比べて格別な「なんか、すんごいいいもんらしいよぉ」といった憧れのようなものを感じます。擬人法が発達しなかったというのも興味深いところ。
そして最後、そんなに捻挫と骨折が怖かったのかぁ、と。当時は仕事をして生きていく上で、死活問題だったのかも。

■ヴァルナとミトラ、アーディティア神群
【冒頭解説より】
ヴァルナ(神の名前)はリタ「天則」とヴラタ「掟」とを堅固に護持し、いささかの侵犯をも許さず、これによって大自然・祭祀・人倫の秩序が保たれる。ヴァルナは典型的アスラでそのマーヤー「幻力」は、万物の驚歎と恐怖との的になっている。また最高の王者として万有に君臨し、探偵(めつけ)を放って人間の行為を監視し、司法神として欺瞞・虚言を峻烈に罰し、索(わな)をもって縛め、水腫病をもって悩ます。(中略)彼は多くの医薬をもち、死を遠ざけ寿命を延ばす。
(中略)
ヴァルナの本原は容易に決定されないが、水と密接な関係にあることは否定できない。
(中略)
(ヴァルナの伴侶の)ミトラは元来「契約」、これによって結ばれた「盟友」を意味し、約束の履行を掟とし、友情・和合を司る。

「契約と盟友」の結びつけ方にちょっぴり感動。リスクを認識・教授して身を守るものではなくて、「盟友」ってとこが。
いま、仕事で「契約」っていうのがまったくこういう概念でされていないからそう感じちゃったのかも。「契約」っていうのは、共に利益を分かち合うためのものなんだって、気づかされた。
リグ・ヴェーダには、こういうプリミティブな視点に戻してもらえる「気づき」が多いです。そこも魅力。

■ミトラとヴァルナの歌
【その二(七・六○):二】
人間を見まもるかのスーリアはここに、ミトラ・ヴァルナよ、地上の両者(動くものと不動のもの)の上に昇る、動かざるもの・動くものすべての守護者として、人間のあいだに直ぐなるもの・曲がれるものを眺めつつ。

ここも、美しい一説。包括愛。

■インドラの出生(四・一八)
【一:】
(母の言葉)こは古来踏襲せられたる道なり、それによりすべての神々が生れましたるところの。
ここよりしてこそ彼(インドラ)も生まるべけれ、すでい成長したる彼も。母をかくのごとく破壊せしむることなかれ。


【二:】
(インドラの言葉)われはここより生まるることを欲せず。こは難渋なる道なり。われは斜めに脇腹よりいでんと欲す。多くのいまだなれざることを、われはなさざるべからず。ある者とは戦わんと欲す、ある者とは和解せんと欲す。

ここ、面白かった。「俺、生まれてきたくなかったのに。しかも、脇腹からって、どーゆーこと?」と息子が(笑)。
ちょっとブッダのような出どころであり、悩みの種はバガヴァッド・ギーターのアルジュナのようであり。
これが元ネタ? なんて思ってしまう。

■リブ三神の歌
【冒頭解説より】
リブ三神に捧げられた讃歌は十一篇をかぞえる。三神の名はリブ(または三神の首長としてリブクシャン)・ヴァージャ・ヴィブヴァンで、しばしばスダンヴァン(「好弓士」)の子といわれるが、この父の本体は明瞭でない。要望や持物についての記述は少なく、技術にたけた名工としての業績が高く評価されている。彼らは元来神格ではなく、その奇跡的技能によって天界に達し、神性を得てソーマ祭(特に夕刻行われる第三ソーマ圧搾)に参与し、神酒を飲む権利を獲得した。


【その一(一・二○):四】
その聖語の真実にして・心ばせ正直なるリブたちは、勤労により両親を若返らせたり。


【その二(一・一六一):三】
汝らが使者アグニに答えしは、「馬を作らねばならず(インドラのため)、車をもまたここに作らねばならず(アシュヴィン双神のため)、乳牛を作らねばならず(ブリハス・バティのため)、両親を若くなさねばならず。これをなしおえたるのち、同胞よ、われは汝の求めに応ぜん」と。

技術にたけた名工として神の扱いに昇格、ってのも素敵だし、「勤労により両親を若返らせたり」ってのも、実にいい。
とてもカルマ・ヨーガ的。

■ヴィシュヴェー・デーヴァーハ(一切神)の歌
【その三(六・四九):二】
いずれの部族の祭事においても呼び讃えられるべく、迷うことなき賢慮をもち、二人の若き女性(天地)にとりての車輪(運動の中枢)たるアグニ、天の幼子にして力の子(力の具現者)、祭祀の標識、赤らに輝く神を、われら祭らんと欲す。

「チャクラ=運動の中枢=アグニ」ということになるわけで、そしてそれが「力の具現者」という記述にいたるところが、ヨギ的には見逃せないフレーズです。

■ヤマ(死者の王)の歌(一○・一四)
【三】
マータリーはカヴィア族(祖霊の一群)と共に、ヤマはアンギラス族(同上)と共に、ブリハス・パティ(「祈祷王」)は讃歌者と共に増長せり。神々が増長せしめたる者と神々を増長せしめたる者と、ある者(神々)はスヴァーハー(祭詞、神々への供物を指す)により、他の者(祖霊)はスヴァダー(祖霊への供物)によりて楽しむ。
※別の歌の注釈に、「供物を祭火に投ずるときに発せられる聖音、娑婆訶。

スヴァーハー(娑婆訶)は、こんなに古い時代からの言葉だったのかぁ。般若心経を写すときの気分もずいぶんと変わってくるわこりゃ。

■ピトリ(祖霊)の歌(一○・一五)
【十四】
火に焼かれたる者(火葬)、火に焼かれざる者(土葬)、彼らは天の中においてスヴァダーによりて楽しむ。彼らと共に汝(アグニ)は、自律の王者として、欲すうがままに、この生気の嚮導(きょうどう)を行なえ。新たなる身体を自己のために用意せよ。
※嚮導=死者を他界へ導くことを指す。

出ました。輪廻思想。「新たなる身体を自己のために用意せよ」。


これでやっと前半です。うちこなりにピックアップする箇所をしぼったのですが、それでもこんなに長くなってしまった。
「あらあら、ずいぶんとお熱い信仰だこと」と思うものもあれば、「大切なことが、こんな大昔なのにちゃんと定義されている」という感動もある。この面白さが少しでも伝わればいいなぁ、という思いがあるので、しばらくこれについて書き続けます。


リグ・ヴェーダを何回かに分けて紹介しています
2回目:生活系
3回目:性愛系
4回目:宇宙開闢の歌

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