うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

スッタニパータ(光文社古典新訳文庫) 今枝由郎 翻訳

『スッタニパータ』をはじめて読みました。対話調のものがあったり、物語になったものがあったり、現代語訳が読みやすいです。

 

バラモン教が主であった時代に、そこに意見するブッダの思想がどのように正直かつ異端であったか、そして没後に仏典が編纂される中で、その思想が信者たちによってどう再構築されていったかが見えてきます。

ブッダバラモン教の祭祀で動物の生贄が捧げられることを強く批判していたそうで、カビールの詩と似た怒りが見えます。

ヴェーダへの言及もあり、修行・戒律・瞑想について問われた回答に、このようなものがあります。

『アタルヴァ・ヴェーダ』の呪法、夢占い、動物の鳴き声占い、懐妊術、医術を行なってはならない。(927)

(第四 八詩頌 一四 バラモン・トゥヴァタカ より)

『アタルヴァ・ヴェーダ』って、熱病で苦痛の時には放浪する奴隷女を犯してしまえ、みたいなことが書いてあって、怖いんですよね・・・(参考)。

 

わたしが想像できる例でいうと、ヒロポンを打ちながら猛烈に働いた時代や、24時間働けますかのリゲインの時代とか、ああいう風潮への指摘に似た冷静さを感じます。コンプラチェックっぽい。

 

この内容が含まれる第四章は『スッタニパータ』の中でも最古層ではあるけれど、それでもブッダの没後かなり時間が経過してから編纂されたものなので、すべてがブッダ自身のことばを伝えているものではない、と注釈にありました。

 

性行為に対する指摘には、「無理でも人妻だけはやめておけ」というのがあって驚きます。

理性ある人は、燃えさかる炭火を避けるように、性行為を避けよ。たとえそうできなくとも、他人の妻とは交わるな。(396)

(第二 小さな章 一四 信者ダンミカ より)

「たとえそうできなくとも」のあとがユルくないか・・・?

コンプラチーム、もうちょっと頑張って)

 

 

結髪行者セーラ という話

この本には、「私は次のように聞いた。」からはじまるブッダの物語がいくつも収められています。そのなかにある、『結髪行者セーラ』という話の中盤に神通力伝説があります。

冒頭の設定描写から、映像が浮かびやすい話です。

 私は次のように聞いた。

 ある時ブッダは、修行者千二百五十人とともに、アングッタラーパ地方を遍歴し、アーパナという町にお着きになった。結髪行者ケーニヤはこのことを耳にした。

まずケーニヤという人が自分の町へやってきたブッダのもとへ赴き、ことばを交わします。ここを読みながら浮かぶ脳内映像が、ヘルマン・ヘッセの『シッダールタ』を思わせます。

そしてケーニヤはブッダ一団を食事に招待し、集会場を準備します。

 

ここから、この町にもともと住んでいるバラモンの紹介に話が移ります。

 その頃アーパナには、セーラというバラモン〔司祭者〕が住んでいたが、彼は三ヴェーダ聖典に精通し、語彙、儀軌、音韻論、語源もよく知っており、〔第四のヴェーダである〕『アタルヴァ・ヴェーダ』と第五のヴェーダである史伝にも通暁していた。彼はまた、文献、文法、唯物論、偉人の観相にも長けており、三百人の少年たちにヴェーダの聖句を教えていた。結髪行者ケーニヤは、そんなセーラを信奉していた。

ここでケーニヤとセーラの関係が説明され、ケーニヤがブッダを囲む集会の準備をしているのを見て、あらケーニヤさん何してますのん? と尋ね、ケーニヤが 「”目覚めた人” と呼ぶべき人ゴータマ様がこの町に着いたのでね・・・」という話をします。

 

そこでセーラは、こんなことを考えます。

 その時バラモン・セーラは思った。

「『目覚めた人』ということばを耳にすることは、世の中では稀なことだ。ヴェーダ聖典には、偉人の身体には三十二の特徴があると記してある。それを備えている偉人には二つの道しかなく、他の道はない。(以下略:国を統治する王になるか、出家し目覚めた人になるか、と語られる)」

そしてケーニヤに、そのゴータマ様はどこにいらっしゃるのん? と尋ね、ブッダのもとへ赴いて挨拶をし、傍に坐って三十二の特徴を観察します。

そして特徴を三十個まで確認できたのだけど、残りの二つが見つかりません。

その二つというのが

 

  • 顔を覆い尽くすことができる舌
  • 身体の中に埋もれている陰茎

 

だと。

これを、傍に坐って観察されるの。めっちゃ怖くないですか。

そんなの気持ち悪すぎだろと思うのだけど、ここからがすごいのブッダ伝説!!!

 

なんと、ブッダは「あー、このバラモンさん、アレとアレを探してるな~。それで信じていないんだなぁ」と思うわけなんですね。

そこからの展開が・・・

いいですか。

心の準備はいいですか。

 そこで師は、神通力で身体の中に埋もれている陰茎がセーラに見えるようにした。そして舌を出し、両耳の穴と鼻の両穴を上下に舐め、顔の全面を覆った。

ぎゃー。

この場面は、バガヴァッド・ギーターの第11章でアルジュナがクリシュナに「神様っぽい感じを見せて」と言ったらギンギンギラギラの紅白歌合戦小林幸子並みの姿を見せてくれる展開と似ているのですが、なんだかブッダ伝説はそれ以前の流れが、なんかヘンです。

 

しかも

まだセーラが納得しない。(しつこい)

 するとセーラは思った。

「ゴータマ師は三十二の特徴をすべて完全に具えておられる。しかし私は彼が『目覚めた人』かどうかがまだわからない。年老いた長老のバラモンたち、あるいはその師たちが、『もろもろの ”供養に値する人”、完全に ”目覚めた人” は、自分が讃嘆されると本性を現す』と言われるのを聞いたことがある。私は、彼をふさわしい詩句で讃嘆してみよう」

 そこでセーラは、師の面前でふさわしい詩句で讃嘆した。

と続きます。

マインドの確認に進んでいきます。(二次面接?)

その後、褒めちぎりのテストを通過したブッダとみなさんで、めでたく食事会となるのですが、そこでブッダがコメント力を発揮します。

そこでブッダは、次の詩句で感謝の意をお述べになった。

「火の祭祀は最上の祭祀であり、サーヴィトリー讃歌はヴェーダの中で最上の讃歌である。人間の中では王は最上であり、河川や湖沼の中では海が最上である。(568)

 星の中では月が最上であり、輝くものの中では太陽が最上である。功徳を積みたい者にとって、供養を行う対象として最上なのは出家修行者の集い〔僧〕である(569)」

勉学しまくりでプライドがエベレスト級のバラモンの前で、サーヴィトリー讃歌とヴェーダを引用して間接的に褒めちぎりながら、抱き込んでいきます。デキる男すぎる。

・・・というお話。

 

こんな要約でいいのかはさておき、一次面接のヤバさからの、二次面接以降の、この展開。バラモンとしてのセーラのまっすぐな内面の要求が興味深いお話です。

 

 

 *   *   *

 

 

今日は特徴の濃い部分を紹介しましたが、もうこれは手帳に書いておかねば・・・と戒めになる句がたくさんあり、読むタイミングによって現在自分のなかで引っかかっていることが見えてきます。