うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

リグ・ヴェーダ讃歌 辻 直四郎 訳(その2:祭祀・生活系)

昨日の「神様系」に続いて、今日は祭祀や生活道徳について書かれた讃歌を紹介します。
この本の後半は「婚姻の歌」「布施を讃美する歌」「蛙の歌」など、生活指針そのものを讃美するものがどんどん出てくる。このへんはもう面白くて、何度も読み返した讃歌が多いです。
結婚とか出産についてかかれる箇所では、「男子出産信仰」がすごく強くて、「男根が強ければ男が生まれるっ!」といった意気込みが感じられます。あと、「女性の初夜の血」がものすごく怖がられてる。そうかぁ、そうだよなぁ。「そういうもんだ」という医学的な知識が教科書的に行き渡っていない時代は、そうだよなぁ。と思いました。
嫁と姑の問題にも触れられていて、そこはもう感動モノですよ。

わくわくしますね!


ではでは、いつものように引用紹介していきます。(※のところは、訳者さんの注釈)

■婚姻の歌(一○・八五抄)
【二六】
プーシャン道祖神)は手を執りて、汝(新婦)をここより導け。アシュヴィン双神はその車をもて汝を運べ。夫の家に行け、主婦たらん。実力ある婦人として、汝が家事に発言なし得んことを。


【二七】
ここ(新郎の家)において汝に、子宝により愉悦楽の授けられんことを。家政のため、この家を見守れ。この夫に身を委ねよ。しかして夫婦ともに年老いて、なお家事に発言なし得んことを。
※新婦が新郎の家に入る際の祝福。


【二八】
そは青黒く赤し、呪法としての汚染(初夜の出血)は印せられたり(初夜の肌着の汚染)。彼女の縁者は繁栄す。夫は呪縛にかけられたり。
※新婦の肌着の処置に関する。呪力の危険を避けるため、これをバラモンに与える。
※兼ねて夫婦の絆の結ばれることを指す。


【二九】
汚れし衣を棄てよ。バラモンに財を分か与えよ。この呪法は足を得て、妻として夫に入る。


【三○】
輝く身体は、かくも醜く、美観を失う、夫が妻の衣をおのが肢体にまとわんとするとき。


【三四】
そ(新婦の肌着)は有害なり、そは鋭し、逆鉤をもち、毒物のごとく食ろうに適せず。スーリアーの歌(本讃歌)を知る祈祷者(呪力あるバラモン)、彼のみ新婦の衣を受くるにふさわし。
※再び新婦の肌着の呪力とその処置に関する。
※「食ろうに適せず」は、「毒物」の縁語。新婦の肌着に触れることの危険を指す。


【四二】
両人は常にここにあれ。離るるなかれ。寿命を完うせよ。子と戯れ、孫と戯れ、おのが家に楽しみつつ。
※新郎の家にはいった新婦に対する祝福の文句。


【四六】
舅(しゅうと)に対して全権ある者となれ。姑に対して全権ある者となれ。夫の姉妹に対して全権ある者となれ。夫の兄弟に対して全権ある者となれ。

初夜について、「輝く身体は、かくも醜く、美観を失う」って、なんか「台無し。ガッカリ」な感じがしたんでしょうかね。血が出るなんて、きいてねー。ということにならないようにですかね。
カーマ・スートラは、うんと後の4〜5世紀なので、リグ・ヴェーダの前1200年といったらそれはもう、えらいこっちゃと思ったのでしょう。
と、そんな状態でありながらも、一番最後の嫁に送られるメッセージは感動モノ。夫の姉妹兄弟にまで言及してる。
兄弟の嫁同士はどういうことになるのかわからないのですが。

■葬送の歌(一○・一八)
【その一(一○・一六):五】
彼を再び祖先に送り返せ、アグニよ、汝に捧げられて、スヴァダー(祖霊への供物)と共に赴く彼を。寿命をまといて彼は遺族を訪れよ。彼は新たなる身体と合一せよ、ジャータ・ヴェーダスよ。


【その二(一○・一八):五】
日々が順序に従いて来たるがごとく、季節が正しく季節に続くがごとく、かくのごとく、ダートリー(創造神)よ、彼らの寿命を調整せよ、年少者が年長者を置きさることなきように。


【同上:七】
良き夫をもち、寡婦ならざるこれらの婦人は、脂膏とサルピス(精製したバター)を身に塗れ。涙なく、病なく、美しき宝石つけて、妻は先立ちて寝床に登れ。


【同上:八】
起て、妻よ、生存者の世界に向かいて。汝は息絶えたるこの者の傍らに横たわる。来たれ。汝の手を握りて求婚する夫と、ここに婚姻の関係に入れり。
※火葬の際に関する。太古の寡婦殉死の風習に代わり、リグ・ヴェーダ時代には、たんに火葬の薪の上で亡夫の傍らに横たわり、助け起こされて、亡夫の弟と再婚する慣習が生じた。従って後世、本詩節をサティーすなわち寡婦焚死の典拠とするのは曲解による。

「彼は新たなる身体と合一せよ」と思いっきり輪廻転生前提です。
そして、この時代に寡婦殉死ではない(それを避ける)習慣について書かれていながら、今の時代もなおそれが絶えていない(この本にその話があった)というのに驚く。

■アシュヴァ・メーダ(馬祀)の歌
【冒頭解説より】
祭式の過程、特に馬の屠殺・解体・調理を主題とする。(中略)犠牲馬を神格化し、太陽の神馬と同一視し、あるいは神秘的に太陽の象徴として讃美し、同時に競走または出征における勝利の馬とみなしている。


【その一(一・一六二):二○】
汝のいとしき自我が、他界に赴く汝を悩ますことなかれ。斧が汝の肉体に苦痛を与うることなかれ。慾深き似非(えせ)解体者が、順序を飛び越え、刀もて汝の肢体を不当に扱い、欠落あらしむることなかれ。

屠殺される馬に対するお悔やみ。その慈悲のリアライズっぷり(具体性)に、インド人独特の「慈悲ポテンシャル」を感じます。そういうパワーが好き。

■アープリー讃歌(一○・一一○)
【八】
われらの祭祀に、バーラティー(弁才の女神)は速かに来たれ。イダー(栄養の女神)もまた、マヌス(人間の祖先)のもとにおいてなせしごとく、ここに異彩を放ちて。サラスヴァティー(聖河)を加えて三女神は、このこころよき褥(しとね)なすバルヒスの上に坐れ、いみじき業もつ彼女らは。

右の鼻と、左の鼻と……とつい思いながら読んでしまうのは、ヨギ的職業病か。と思った章。

■祭官の歌(一○・一○一)
【一二】
そは男根なり、男の子らよ、男根を立てよ、励ませ、突き入れよ、勝利の賞をかち得んがために。ニシュティグリーの息子(インドラ)をこなたに動座せしめよ、われらの援護のために。懇請してインドラをここに動座せしめよ、彼がソーマを飲まんがために。

すごいよね一行目。こういうプリミティブな表現、大好きです。

■グリタの歌(四・五八)
【冒頭解説より】
グリタは液状にしたバターで(近代語のギーにあたる)、きわめて普通の供物として神に捧げられる。本讃歌はこれを神格化し、しかもこれに三篇の様相があるとしてそれぞれを讃美の対象とする。すなわち、(一)本来のグリタ、(二)神酒ソーマ、(三)詩的霊感、その流露たる詩人の言葉である。


【六】
河川のごとく、霊感の言葉は合体して流れ出ず、内部において心(情感)と意(思考)とにより浄化せられて。これらグリタの水波(詩的霊感)はほとばしり出ず、矢より逃るる野獣のごとくに。

ここは、「流れ出る」という意味かと思います。「内部において心(情感)と意(思考)とにより浄化せられて」ね。すごいよなぁ。

■ダクシナー(報酬・布施)を讃美する歌
【その三(一○・一○七):三】
ダクシナーは神々に対する布施、神々のための祭祀なり。そ(祭祀)は吝嗇漢(りんしょくかん)のために存せず。何となれば彼らは布施をせざればなり。またダクシナーを授くる多くの人々は、非難を恐るるがゆえに布施す。

なんか、税金とかもこういうふうに説いたらいいんじゃないかしらと思うくらい、インド人えらい。素直がいちばん、と思う。

■蛙の歌(七・一三)
五 弟子が師匠の言葉を反復するがごとく、彼らのうち、一つが他の言葉をくり返すとき、彼らのその唱和はすべてさながら完全に一章をなす、声美しき汝らが水上に唱うるところは。
※一章:「完全に接合したる関節のごとく」の意味を兼ねる。

訳者さんのコメントに「雨乞いが目的の歌」とあります。
もう、愛しいんだろうね。あのクソ暑い中での蛙の合唱。荘厳なマントラに聞こえているかのような讃美。

■慈善の歌(一○・一一七)
一 神々は実に飢えをのみ死因として作らざりき。食足りし者にも、もろもろの死は近づく。また施す者の財産は涸るることなし。しかして施さざる者は憐愍者を見いださず。


二 みずから食物に富みながら、食餌を求欲しつつ・零落して近づき来たる貧困者に、── しかもかつて友好を結びし者に ── 心つれなく振舞う人、かかる者もまた憐愍者を見いださず。


五 財力に勝るる者は実に、援助を求むる人に施すべし。人生のいとも長き道を見渡すべし。なんおなれば富は、車の輪のごとく、回転し来たり、この者にまたかの者に近づく。


六 思慮なき者はいつわりの食物を見いだす。われ真実を述ぶ、そは彼に死をもたらすのみ。彼は款待者をうる幸運に恵まれず、また友人を得る幸運にも。独りして食する者は、独りして災厄を蒙る。
※いつわりの食物:食物を施すことを知らない愚者は、その用途を誤るから、食物をもたないのと同じである。

どうせ死ぬのにケチケチしとったらいかん! と。すばらしい。

■渡世の歌
一 われらが意向(こころ)はおのがじし、世すぎの道はまちまちに、家がこわれて木匠(たくみ)は喜び、骨が折るれば薬師(くすし)が喜ぶ。バラモン詩人の待つものは、ソーマ祭りの頼み人。 ── インドゥ(ソーマ)よ、インドラのためにまき流れよ。

さまざまな職業も結局は富のためであるということを述べた、かなりカルマ・ヨーガ的な句。
チベット仏教の真実」で、野口法蔵氏もこの句を紹介されています。(引用紹介<114ページ 下界に降りる より>箇所)


いかがでしたでしょうか。昨日の内容は少し難しいと感じたかもしれませんが、今日の内容には感動的なものがいっぱいでしょ。うちこはインドの丸呑みっぷりの「やさしさ」に触れるとき、やっぱり日本のそれとは格段にパワーが違うな、と感じます。今日は、その根源的なものに触れられるものを紹介できたのではないかと思います。
日本の「やさしさ」には、「和(ハーモニー)」が根源にあるように思います。ハーモ二ズム。インドのそれには、周りに関係なく個人で貫くべきことですよ、という教えのスタンスに強さを感じる。マンツーイズム。
ハーモニズムがあるから、ケシカラニズム(これは、なだいなださんの言葉/参考ログ・104ページの引用)が表裏一体になる。
どちらも素敵なやさしさと思いますが、うちこはインド的なほうの「やさしさ」を目指すスタンスをとりたい。
リグ・ヴェーダを読んでいると、心が励まされる感じがします。


リグ・ヴェーダを何回かに分けて紹介しています
初回:神様系
3回目:性愛系
4回目:宇宙開闢の歌


▼姉妹本「インド文明の曙」の感想
インド文明の曙 ― ヴェーダとウパニシャッド(1〜9章)
インド文明の曙 ― ヴェーダとウパニシャッド(10章)
ウパニシャッドから、3つの小話(「インド文明の曙」より抜粋)

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