うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

無趣味のすすめ 村上龍 著

大きな字でコンパクトにまとまったコラム集のような本で、削ぎ落とし方がうまいというか、要所でバンダしながら燃やす術を心得たような文章がいい。文章がいいなぁ。
行きと帰りのバスの中で読み終えるまでの間、ビジネスマンとしてうなったり、ヨギとしてうなったり、もうひとつ離れたところから「うーむ」と感じたり。


いくつか、紹介します。

<7ページ 無趣味のすすめ より>
 まわりを見ると、趣味が花盛りだ。手芸、山歩き、ガーデニング、パソコン、料理、スポーツ、ペットの飼育や訓練など、ありとあらゆる趣味の情報が愛好者向けに、また初心者向けに紹介される。趣味が悪いわけではない。だが基本的に趣味は老人のものだ。好きで好きでたまらない何かに没頭する子どもや若者は、いずれ自然にプロを目指すだろう。
(中略)
 現在まわりに溢れている「趣味」は、必ずその人が属す共同体の内部にあり、洗練あれていて、極めて完全なものだ。考え方や生き方をリアルに考え直し、ときには変えてしまうというようなものではない。だから趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、人生を揺るがすような出会いも発見もない。心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。

ヨガは不思議なもので、続けていくことで「失望・歓喜・興奮」の振れ幅が狭くなるような気がします。いろいろなことが、軸に吸いついてくるような。意識的にストレッチのようなノリだったりワークアウトとしてだったり、痩せるためだったりという取り組みでないと、そうなってしまう。やっぱり、実践から学ぶ宗教なんだろうな。



<21ページ グローバリズムは思想ではない より>
 グローバリズムはいまだにそのうねりを止めていない。目に見えない大きな潮流のようなものだ。思想ではない。だから「適応する」というのがもっとも正しい接し方で、付和雷同したり、賞賛したり、立ち向かったり、毛嫌いしたりするものではない。世界史的な大きな流れなので、目をそむけようが、辺境の地に隠遁しようが、逃れるのは無理だ。さらに、その流れに「うまく乗る」ことも不可能だ。不可視の流れであるグローバリズムのうねりに単に「乗ろう」としても、地図も海図もないのでやがては振り落とされて沈んでしまうだろう。
 グローバリズムに適応するときにもっとも重要なのは、言うまでもなくコミュニケーションだと思う。

流されるか、眺めるか、沐浴的に浴びるか。どれもあり。そんな諸行無常を感じた上で、やっぱりコミュニケーション能力は最強の武器か。



<27ページ 「好き」という言葉の罠 より>
程度の差はあっても、好きという感情には必ず脳の深部が関係している。理性一般を司る前頭前皮質ではなく、深部大脳辺縁系基底核が関わっている。「好き」は理性ではなくエモーショナルな部分に依存する。だからたいていの場合、本当に「好きなこと」「好きなモノ」「好きな人」に関して、わたしたちは他人に説明できない。なぜ好きなの? どう好きなの? と聞かれても、うまく答えられないのだ。
(中略)
「なぜあの人が好きなの?」「お金持ちだから」というようなやりとりを想像すればわかりやすいが、説明可能なわかりやすい「好き」は、何かを生み出すような力にはなり得ないのだと思う。

説明可能なわかりやすい「好き」は、「この状況は、逃すにはもったいない気がする」だったりしますよね。なんかセコいの。



<64ページ 集中と緊張とリラックス より>
リラックスできて、かつ集中して仕事ができる人は、実はオンとオフの区別がない。全力で取り組む懸案の仕事を妥協なく終わらせたいという欲求はあるが、早くオフを楽しみたいなどとは思わない。「充実した仕事のためには心躍るオフの時間が必要だ」というのは、無能なビジネスマンをターゲットとして、コマーシャリズムが垂れ流し続ける嘘である。

沖先生も、まったく同じことをおっしゃってますね。



<95ページ ビジネスと読書 より>
読書が重要なのではない。情報に飢えるということが重要なのだ。

わたしの場合は、心と身体で感じたことを確かめたくなる飢え。かなぁ。



<100ページ 品格と美学について より>
繰り返すが、仕事は何としてもやり遂げ、成功させなければならないものだ。仕事に美学や品格を持ち込む人は、よほどの特権を持っているか、よほどのバカか、どちらかだ。問題は品格や美学などではなく、Money以外の価値を社会および個人が具体的に発見できるかどうかだと思うのだが、そんな声はどこからも聞こえてこない。

これも、カルマ・ヨーガ的な示唆。



<104ページ リーダーの役割 より>
 人望があるとか、剛胆であるとか、忍耐強いとか、リーダーとしての資質が話題になることが多い。だが、わたしはリーダーの「資質」などどうでもいいと思う。どんなに優れた資質があっても、「何をすればいいのかわからない」リーダーは組織を危うくする。リーダーは、「どこに問題があるのか」「何をすればいいのか」わかっている人でなければならない。

そして、相手にわかる翻訳で明示、もしくは指南できなければならない。勇気も必要。女子のみなさんは、以下のマドンナ師匠の名言も肝に。
「仕事をやり遂げるには、"性悪女"になることも必要よ。」



<154ページ 部下は「掌握」すべきなのか より>
 どうやって部下を一人前に育てるか、そんなことを真剣に悩んでいる上司がいることも信じられない。やるべき価値のある仕事を共にやっていれば何か特別なことをしなくても、つまりことさらに何かを教えなくても、人間は自然に成長する。問題は、部下との接し方などではない。取り組んでいる仕事が本当にやるべき価値があるのか、そのことを確認して、その価値を共有することのほうがはるかに重要である。

「信じるな、疑うな、確かめよ」「無理するな、無駄するな、続けよ」ですね。それを、部下と一緒にやる。(カッコはいずれも沖先生の言葉)



読んでみたらめちゃくちゃヨガっぽい本でした。
(その目線で読んだらなんでもそうなるだろ、というツッコミが聞こえてきそうですが)


無趣味のすすめ
無趣味のすすめ
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村上龍
幻冬舎
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おすすめ度の平均: 3.5
1 趣味の定義付けの問題
5 「世間」の捉える「趣味」と村上龍の示す「リフレッシュ」の違い
1 内容は、、、。
4 身も蓋もない内容だが、本質を突いている本
4 現実に対しての向かい方の違い