うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

友だちいないと不安だ症候群につける薬 齋藤孝 著

友だちいないと不安だ症候群につける薬
ヨガ友が中国へ留学へ行ってしまう前に、本棚からドサッと借りてきたなかの一冊。彼女はものすごく女子的な本も読むけど、こういう話題の本もチェックしている。偏った本の読み方をする日々に、ちょっとした息抜きセレクトという感じで、とても助かっています。
この本はテンポが良くて、一日でわーーーっと読み終えてしまいました。「人間関係」について考えるとき、とてもよい示唆を与えてくれる内容だと思います。この本を読んでいたら、ヨガに助けられているなぁ、と思うことがたくさんありました。
そして、この本で紹介されていた「BS世界のドキュメンタリー 青い目 茶色い目 〜教室は目の色で分けられた〜」という、差別について学ぶ授業の動画を見て、人が潜在的に持っているエゴについて、思うところがたくさんありました。
この動画は、ご覧になったことのない人に強くおすすめしたい、力のある内容です。末尾にネットで見られる動画のリンクを張っておきます。


では、本の内容の一部を紹介します。

<30ページ 好きなものを真ん中に置いた三角形の関係 より>
 好きなものが全くない人と話すとなったら、それはもう大変です。なぜなら、相手の人格そのものとつきあわなければならないからです。
 人格そのものとつきあうというのは、結構難しく辛い。
 友だちとつきあう時、その友だちの気質とか人格とつきあうものだと、普通思われていますけれど、実はそうではありません。実際には好きなものについて語り合うことによって、人間そのものとつきあわなくてすむというよさが生まれるわけです。
 常に何かをはさんで三角形の関係でつきあえるといいのです。
 何かについて語らないで、お互いについて語ってしまったとすると、お互いが真正面から向き合ってしまうことになります。向き合ってしまうと、お互いにぼろが出るのも早い。これは恋人同士がやってしまいがちなことです。

「好きなものについて語り合うことによって、人間そのものとつきあわなくてすむ」というのは、なるほどなぁと思いました。


<51ページ 自分の世界をきちんと持っていることが大事 より>
 自分を持っていない人というのは、友だちがいなくなる不安から、そんなによい関係ではないのに、どうしてもその関係にしがみつきたくなるという傾向があります。それは同性同士でも異性関係でもあります。
 自分の世界をちゃんと持っていれば、今つきあっている友だちとの距離がちょっと遠くなってしまっても、「まあいいか」と思えたりします。友だちなのに嫌なことを言ってきたりする人がいて、それがしつこくなってきた場合、それでもつきあうのかというと、そこはうまく離れていけばいいわけです。
 自分の戻るべき世界を持っていることによって、コントロールを利かすことができるようになります。
 つまり、友だちとの距離感は、自分の世界を持っているかどうかということに大きく関わっているということです。

これは、本当にそう思います。戻るべき世界のない人は、久しぶりに話そうと思っても、寂しさのエネルギーがいっきに向かってきそうで、避けようとする感情が働きます。


<59ページ 孤独のエネルギーを自分を深める方向に活かす より>
 自分の世界をどうやって持てばいいのかというと、自分の好きなものをしっかりと自分の周りに配置しておくことです。そうすると、友だちがいなくなっても、ベートーベンをひたすら聴いていれば、心は安定しますし、一人で盛り上がれます。あるいは、友だちがいなくなっても、村上春樹を読み続けていれば、その世界に浸ることによって満足感を持つことができます。
 そういう自分の心のやり場を求めていくうちに、その時初めて、深くレベルの高いものと関わることができるのです。逆に言えば、友だちがいなくなった時がチャンスです。
 日常的に意識が流れていってしまわずに、その意識がぎゅっと凝縮していきます。そうした孤独のエネルギーによって、勉強したり、あるものを深めたりすることができるのです。

わたしは予定がなければないで、「盛り上がろうと思っていたことリスト」をつぶしていく。「一人になる機会」のために高野山へ行ったりもする。それはほぼ仏教的な行いだったりするのだけど、不思議なことにそこから約束をしなくても会える写経仲間ができたり、能動的に「私も一緒にやってみたい」という人が現れたりする。「誘われたからやる」というきっかけではない流れでできた関係は、いいお友達でいられる率が高い気がします。


<104ページ 女性は男のワールドを有効利用して世界を広げている より>
 みんな本質的には、自分の世界を広げてくれるような人とつきあいたいと思っているわけです。でも、女性の場合と男性の場合では、違っているようです。
 女性の場合は男性とつきあったあと何が残るかというと、その男性のワールドをちゃんと自分のワールドの中に組み込んでから別れて、あとは未練を残さないというのが普通です。
 元カレがA、B、Cと三人いたとして、それぞれが違う趣味を持っていると、その女性は全部の趣味に詳しくなれる。あの人とつきあったおかげで音楽に詳しくなったとか、あの人とつきあったおかげで学問に詳しくなったとか、いろいろな効用があります。女性はそうやってどんどん成熟していき、人生を楽しめるようになっていく。そうして体得した趣味などが後半に生きてきて、四十代五十代以降でも充実した生活を送れるわけです。
 ところが、男性はどうして六十代以降になると孤独になってしまうかというと、好きなものの世界が狭いからなのです。その原因は、女性とつきあった時に女性の世界を自分の世界の中に組み込まないからです。
 女性がたまらなく好きなものがあったとします。音楽でもファッションでもいいのですが、女性がそれを好きだからといっても、つきあっている男性は、それに合わせて自分を変えるということをほとんどしません。
 男と女の学習能力の違いがあまりにもはっきり出ているのです。

これは、なるほど! と思いましたが、わたしの周りには最近、女性から学習しようとする男性がちらほらいます。こういう人たちは、きっと素敵なオジサンになると思う。


<110ページ お互いに影響を受け合う関係に より>
 長い人生を生きていく中で、いろいろな人と出会った時に、その人のワールドと出会って、それを自分のワールドに取り込んでいくということが大事です。それは「被感染力」というものであり、感染される力、影響を受ける力、被影響力というものです。
 大事なのは「影響力」ではなくて「被影響力」です。影響を被る力です。
 影響を被ることができると、自分のワールドが相当広がっていきます。
 話していてダメな人というのは、相手のワールドに自分が感染したり影響されることを拒んでしまう人です。瞬間的にシャッターを下ろしてしまう人です。
 別に相手にとって食われるわけではないですし、侵略されるわけでもない。ましてや、そのことによって自分の世界が貧しくなるということではありません。
 その人のワールドというものに一度影響を受けてみるということ、一度相手の世界に入ってみるということです。影響を受けるだけでなく、お互いに影響を受け合うようになると、もっと楽しくなります。
 そういう友だち関係というのがいい関係です。それは仕事上の一般の人間関係とはまた違う関係です。

ちょうどここ1年くらい「被影響力」を意識してきたところだったので、ここも印象的。


<136ページ 鹿川君事件の同級生・岡山君の八年後の証言 の章より>
資料
「自分が弱い人間であることを知られるのが、死ぬほどいやだった」
── 岡山君・一浪して大学四年生  より
(抜粋引用)


 <いまは、怖いものはない>


 自分は彼を、直接いじめた人間ではない、と思う。ただ、彼との友情から、自分から離れて行ったことと、葬式ごっこに加担したこと、この二つの行為で、彼の生命を引き止める本当に重要な絆を、断ち切ってしまったのだ、と思っている。
 だから、苦しみ、悩み、自分を追い詰め、そしてようやく、乗り越え始めたこのごろになって、やっと自分がこれからの人生を、どう生きて行くかを見つけたと思う。
 いま、怖いものは、何もない。自分が弱い人間であることを、隠す必要がなくなったからだ。

この章全体がズシリとくるコンテンツだったのですが、「彼の生命を引き止める本当に重要な絆を、断ち切ってしまった」という言葉が胸に響きました。この本を読んだ後で、「友人をいじめから救えなかった」という理由で自殺をした川崎の中学3年生のニュースがあり、ドキッとしました。
子どもって、根拠なく「気持ち悪い」と言ったりするので本当に残酷。小学生の頃、わりとそのような扱いを受ける子と仲良くするように無意識につとめるようなところがありました。正義感はまったくなくて、子どもの頃から、「差別の構造」に興味があった。
いじめに遭う側のときも、いじめる側の嫉妬に興味を持ち続けていたので、腹は立ちつつも、昆虫の観察のように見ていた。いまでも「あの嫉妬の固まりだった子は、どこかで心の浄化ができただろうか」と思ったりする。


<186ページ この授業の意図は何か より>
 人種差別というものと、いじめというものは、普通は離れていると思います。いじめというのは個人的な問題で、差別というのはもっと社会構造的な問題であると一般的には考えられています。
 しかし、その根っこの部分では、誰かを低く見たり、誰かを排除することによって、自分のポジションを安泰にしたり、あるいは気分を楽にするということ。そういう意識においてはつながっているものだと、私は考えています。

同感。大人の社会構造の中にも、しっかりある。なので、「排除」「分類」したい理由をしっかり紐解かなければならない。たとえば自分が高く評価をされたときでも、分解すると評価者の背景に「分類」があったりする。「何と分類するために私を評価するのか」。その根拠を見逃さないことを、仕事の上での重要な与件として扱っています。


<200ページ 異質なものと積極的に関わる力 より>
 小学生を見ていてもわかるのですが、男女を区別する意識は、かつての昭和三十年代くらいよりもずっと強いようです。男の子と女の子が放課後自然に遊ぶということがほとんどなくなってきているのが現状です。
 このことから見ても、自分と異質なものに対して積極的に関わる力が全体的に衰えている、あるいは弱いと言わざるを得ません。
 別に日本人が昔からこうした力が弱いとか、本性からして弱いとかいうことではないと思います。しかし、あまりにも同学年の同性とばかりつきあって、幼少年期から大学生になるまでを過ごしてしまうために、大人になってからもその癖が抜けないのです。異性と恋愛関係以外でも自然につきあったり、あるいは異年齢の人と自然につきあうことができない。そういう自分と異なるものとの友だち力や、距離のとり方というのが練習されていなかったり、訓練されていないということでしょう。

このテの干渉を受けるとき、日本って! と思います。


<223ページ 「辛抱強さ」「粘り強さ」も友だち力の要素 より>
 「読書」というのも、結構忍耐力がいるものです。少年院や児童自立支援施設などに入っている子には、活字を読んでいられない子が多いそうです。字が読めないということではなくて、読むという精神集中の持続に耐えられないのです。
 本を読むというのは、人の話を積極的に聞くという行為だからです。積極的に聞きに行かないと、向こうからは入ってこないのです。ですから、読むことには苦労がいります。しかも、自分から話すのではなく、ひたすら聞いて吸収するだけなのです。
 その聞く構えというのが、読書では鍛えられるわけです。読書が嫌いという人は、向上心がないだけじゃなくて、聞く構えに入れないということもあります。
 人の話を聞く構えができている人というのは、柔軟な「友だち力」を持っていると言えるでしょう。

読書も、ヨガなんですね。意識したことがなかった。



最後に、動画と映画を紹介します。
冒頭に書いた、「BS世界のドキュメンタリー 青い目 茶色い目 〜教室は目の色で分けられた A CLASS DIVIDED〜」はYahoo!動画で見ることができます。
たぶんアップロード容量の制限が理由かと思いますが、3つのファイルに分かれています。
ひとつめ
ふたつめ
みっつめ


もうひとつ、過去に観て衝撃を受けた、スタンフォード監獄実験を元ネタにした映画「es」についても少し触れておきます。
ものすごく内容がエグいので、そういうのが苦手な人にはつらい映画かもしれませんが、上記の「青い目 茶色い目」同様、たとえシミュレーション的な設定であっても、肩書きや地位を与えられると、その役割に合わせて意識も行動も変わってしまうことを表現した映画です。

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