うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

跋文(ばつぶん)(「茶の本」岡倉天心 著より)

岡倉天心さんの「茶の本」のなかから、「茶の流派」「道家と禅「茶室」「花」「茶の宗匠」の章について紹介してきましたが、今日は末尾にある15代・千宗室氏による「跋文(ばつぶん)」の章からいくつかご紹介します。
この本を読んだ後、「資料室」というサイトミラレパさんの資料もすばらしい)で「岡倉天心の言葉」を読みました。そこで感じたことも末尾に添えます。

ではでは、いつものように紹介に入ります。

<212ページ>
The emphasis on harmony in chanoyu gave rise to one of chanoyu's most distinctive features:the practice of social equality within the tea room.This does not mean that all social distinctions are simply swept away,or that oders is left to chance.On the contrary,the order of the guest is carefully determined beforehand,and the roles and places of the main guest and succeeding guests are set.By adhering to such rules,however,we are freed to come together at a human level,leaving behind outside entanglements and joining together in the world of chanoyu.


 茶の湯が和に重きを置いていることから、「茶室の中で社会に於ける平等を学ぶ」という顕著な特徴を持つに至った。それは差別のすべてがただ単に取り払われてしまうとか、客の順位が成り行きに任される、ということを意味するのではない。それどころか客の順位は慎重に決められていて、正客や次客の役割や座る場所まで決められている。しかしながら、このようなルールを固守することによって、外界でのさまざまなもつれた雑事から離れ、茶の湯の世界につどうことにより、人間的なレベルで自由に交わることができるのである。

そうか、「和」は harmony か。これは、日本の至宝といえるかも。昨日の日記とつながった・・・。

218ページ>
Such ideals may of course be shared by many,even as we may lack only the time to fulfill them.The practice of chanoyu,however,is the deliberate refusal to postpone one's essential existence as a human being,in the full awareness of how exacting,and yet how important,that task can be.It is to live with a refined attention to detail ── the flowers of the season,the sound of water poured onto stone,the time at which evening turns to dusk ── not because these things will enlarge the self,but because they bring our lives into harmony with that which transcends the self.


 この人生哲学は、たとえ時間がなくて実践ができないとしても、多くの人が受け入れるだろう。しかしながら茶の湯を実践するということは、一人の人間としてここに在るという、難しく大切な基本的な生き方を後まわしにはしていないのである。お茶というものはさまざまなこと、例えば季節ごとに咲く花、石の上に落ちる水の音、夕方から夕暮れに変わる瞬間といったものに心をむけながら生活するということである。それらのものを通して、私たちは自己を成長させ、自己を超越した調和を生活に取り込むことができるのだ。

「they bring our lives into harmony with that which transcends the self」は、そのままヨガに置き換えられるなぁ。と思いながら読みました。

<224ページ>
Respect
On a personal level,the principle of harmony implies a spirit of reverence and humility.There can be no genuine acknowledgment of others unless one is able to discard the self-attachments that dominate life in society.Indeed,the failure to perceive the deepest humanity of others is one of greatest causes of strife in the world.



 個人的レベルでは、和の理念は尊敬と謙遜の精神を意味している。社会においては、生活を支配している我執を捨て去ることができないかぎり、真に他人を理解することなどできない。実際、他人の深奥にある人間性を理解しそこなうと、それがこの世の争いの最大の原因のひとつになる。

self-attachments は、複数形だねぇ。

226ページ>
In the scope of human relationships,the principle of respect means to have no designs on others,to be free of the calculation to impress or compete.Rikyu taught:

It is good for the spirits of guestand host to be in mutual accord.But to want to be in accord is harmful.If both guest and host have attained a grasp of the way,a sense of harmony will arise spontaneously.


 人間関係という観点から見れば、尊敬というこの理念は、他人にたいして何かを企てないということであり、計算して相手を感動させたり、相手と競争しないということである。利休は次のように教えている。
 
 「客と亭主の互いの気持がおのずと調和するのがよい。気持に合わせようとしてはいけない。客と亭主の双方が茶の道に精通していれば、おのずと心が合致し、心地よいものである」(叶うはよし 叶いたがるは悪しし)

気持ちは accord, 心は harmony. この2語の使い方は、勉強になるなぁ。


この本を読んだ後、「資料室」というサイトのなかに岡倉天心さんの章を見つけ、読みました。あらためてどんな経緯でこの「茶の本」のようなメッセージが生まれてきたのかを知り、そしてこんなにも前から発せられていた

 われわれの温順にたいする讚辞は反語であって、西洋人からすればその(東洋人の)礼儀正しさは臆病のせいなのだ。


という言葉が大きく心に響きました。

うちこはヨガにしても仕事にしても、実践なきままに「慣れた」メソッド情報として西洋を経由してもたらされるものに疑問を感じ続けているのですが、岡倉氏による東洋へ向けられる関心の目に対する「不愉快さ」の表現は、とても「男らしいのに、奥ゆかしい」「美しいのに、強い」といった具合で、単純に知識としてではなく、感覚に訴えてくるものがとても多いメッセージばかり。

そして、

  深い叡知に触れるとき、臆病にもなれない人なんて、信用できません。

というのが、日本人ヨギ・うちこの感覚です。

▼この本は、全4回に分けて感想を書いてきました。過去の3つはこちら
茶の流派 The Schools of Tea
道家と禅 Taoism and Zennism
「茶室」「花」「茶の宗匠」

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