うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

インナーチャイルドがぶっ放す Kutarka の尻尾を捕まえたときのこと

おやおや、この人ったらインナーチャイルドだのと言い出したけど、大丈夫かしら? と思ったあなた。

長らくこのブログを読んでくださり、これまでどうもありがとうございました。

お世話になりました。

ばいなら〜。

 

 

 *   *   *

 

 

さて。

タイトルの中に唐突にあるアルファベットの文字列「Kutarka」はサンスクリットです。

なにかを言いくるめる議論とか、こじつけという意味の言葉です。

なので、今日のタイトルは

 

 

 

 最近、わたしの中のインナーチャイルドが、

 子供っぽいままの論理展開で

 わたしを沼へ引っ張ってこようとしたのを

 一瞬、とっ捕まえたっぽいのだけど、

 聞いてくださるぅ?

 

 

 

という話です。

それを、ヨーガ・スートラにも登場する言葉と関連づけて話そうというわけです。

まあちょっと読んでみてください。ここはヨガブログなんです。

つい先日若尾文子さんを絶賛するような話を全力で書いていたけれど、ここはヨガブログなんです。

 

 

わたしのインナーチャイルドは饒舌

その前に、インナー・チャイルドってなによと。

そうよね。そうですよね。それはわたしも、なのです。

わたしはこれまで、「それはスピリチュアルな話が好きな人が話題にするやつで、アタシにゃあ関係ないね」と、ちょっと揶揄するような、そういう気持ちでおりました。

思いっきり斜に構えておりました。

 

 

・・が!

ですが!

今日はわたしのインナー・チャイルドの話です。

 

 

 *  *  *

 

 

さて。ここからが本題ね。

前段が長いよね。ごめんなさいね。

 

 

わたしにはいくつか、中学生までの間に家庭内で培った

 

 

 

   ほら、やっぱりそうじゃないか

 

 

 

ネガティブな方向で答えあわせをする思考パターンがあります。

インナーチャイルドって、弱々しくてかわいそうなイメージを勝手に持っていたのですが、違うんですね。

わたしのインナー・チャイルドは饒舌でした。饒舌なんだけれど、相手に伝わるように言語化ができずに黙っていた。そういうチャイルド。子供なのに、むっつりスケベな感じ。

(死語!)

 

 

 

一方で、運動や受験の試練を通じて培った異様にポジティブな、マッチョとすら言えそうな思考パターンもあります。女性に生まれはしたけれど、そいつにいろいろ帳消しにされて、抑えられていたのでした。

 

 

このようにわたしの中には陰陽インナー・チャイルドがどちらも存在しているのですが、中年期にホルモンバランスの引き起こすマインドの乱れは、ネガティブなパターンをむき出しにしてくるところがあると感じています。

 

 

Kutarka 」という思考のはたらき

先日、自分のネガティブな思考パターンについて考えてみる機会がありました。

冷静で居られているときには「いやいやいや常識的に考えて、そんなわけがないでしょう・・・」と思うようなことでも、一度「やっぱりそうなんじゃないか」と思ってしまったらそれを証明するために論理を構築する。

そういうことってありませんか。

 

 

そういう心のはたらきを、サンスクリット Kutarka(クタルカ) といいます。

 

 

  • Tarka:論理、論証、ロジック
  • Vitarka:論証性
  • Kutarka:こじつけ、詭弁、なにかを言いくるめる議論

 

 

Vitarka という言葉がヨーガ・スートラに何度か登場するので、ヨガのインストラクターをしている人であれば、「なんか聞いたことあるかも・・・」という人がいるかもしれません。

 

 

少し前に、このこと(Kutarka)についてヨガの用語を使わずに友人に話しました。

そのときに「ポジティブな結論でもネガティブな結論でも、どっちにしても自分自身に対して論理的にエビデンスを引用して問い詰めるYoutuber的なことができちゃう感じ」って、わかる? と話したら「あーーー!」と言われたので、現代人にはこの言い方だとわかりやすいかもしれません。

(友人に話すときには、赤い文字のところに固有名詞を入れて話しました。そこは勝手に埋めて読んでください)

 

 

あら探しにもロジックを適用する

他者や外部環境のあら探しをして「ほら、やっぱりそうなんじゃん」と思いながら、同時に「うわー、自分、完全にクレーマーじゃん」と思ったことはありませんか。わたしはあります。

これまでにもそれは起こっていたのですが、ホルモンバランスと紐づけて考えたことがありませんでした。

 

だけど先日、以下のようなことを考える経験をしました。

 

 

 

で、このときに気づいたのですが、こうなったときの思考パターンが、幼少期に何度も行ってきた「ほら、やっぱりそうじゃないか」という思考をぶり返させるものでした。

中年期になってホルモンの力が弱まると、インナーチャイルドが腕まくりをする。

しかも、大人の知識を携えて腕まくりをする。やべぇ奴が来たと思いました。

 

 

それをこれまで抑えてくれていたのが、セロトニンだった。

これは直近のわたしの内面観察からの仮説です。

更年期のピークって、これがわかりやすく出てくるんじゃないかな。

リアルタイムで、わたしはそう実感を持って観察しています。

セロトニンは、セコムでありALSOKだったのです。

 

 

自分でとっ捕まえた

わたしの場合は、先日起こった心の大きな乱れがきっかけでした。

「契約書が書き換えられている!(こんなに大切なことが、なんの声がけも説明もなく!)」という勘違いをし、被害妄想の嵐が巻き起こりました。

そのときに自分でもびっくりしつつ、時間をおいて友人に話すなどして考えてみたら、わたしは今回のことに限らず、以下を感じたときに思考がフリーズしやすいことに気がつきました。

 

 

 

   水面下で進行してきた計画をいきなり知らされる不安

 

 

 

これだったんですよね・・・。

大人たちの間で進められていた計画を受け入れてなんとか適応していくときに、残っちゃったあれこれ。

心理学の世界に「見捨てられ不安」と言われるものがあるそうですが、そのもう一階層下にある、より具体的なものが見えました。

 

 

今回これに気づくことができたのは、わたしにとって大きな収穫でした。

大人の社会には法律があるし、家庭と違ってブラックボックスじゃないのだから、もっと安心していれば良いのだよと、大人の自分が大人の自分に向けて言うことができました。自分のなかで大人同士の対話ができました。

 

 

 *   *   *

 

 

ここまで読んでくださった人の中には、中年期のメンタルの揺れに大なり小なり関心があり、なんとか乗り越えていきたい、そんなタイミングの人がいるかもしれません。

今回のように、インナーチャイルドがぶっ放してきた? と思うような機会を見つけたら、観察のしかたによっては、わたしみたいに、自分の Kutarka を刺激する局面の特徴が見えてくるかもしれません。

感じとしては、尻尾を掴みかけた感じ。

 

 

わたしはインナーチャイルドを抱きしめたり癒やしたりするのではなく、なんか、"話せる間柄" になりたいんですよね・・・。

抱きしめたり癒やしたりというのが、どうもピンとこない。そこに結局は支配関係がある気がして。それはわたしの望むやり方ではありません。

伝わるだろうか。この感じ。

伝わったらうれしいなぁ。