うちこのヨガ日記

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なぜ論語は「善」なのに、儒教は「悪」なのか 石平 著

孔子の『論語』は儒教とも新儒教とも礼教とも朱子学とも関係がないと言い切る、著者の熱量がすごい本でした。
わたしは四年前に、ベトナム旅行中に『論語』を読みました。きっかけはそのさらに2年前にあり、初めてベトナムへ行った時に感じたことから、孔子に興味を持ちました。
その頃のことを、ブログに書いています。

 

論語』は実際に読んでみると孔子の人柄が興味深く、完璧な聖人じゃないけれど、状況と良心の板挟みで迷ったら必ず相談に行きたくなるお爺さんという印象を受けます。なんというか、ものすごく人間くさくてチャーミングで、あたたかくて柔軟で、しかもロジカル。
なのでたまに耳にする「儒教的」とか「儒教の名残で……」と悪い意味で言われるときの「儒教の祖=孔子」って、ほんとなの? と、ずっとそこにギャップを感じてきました。
その謎が、この本を読んだらよくわかりました。ものすごく勉強になりました。

 


悪い意味で言われる時の「儒教の名残」には、時の政治権力との結びつきとともに微妙に力点を変えながら転変してきた歴史があって、孔子の “状況と良心の板挟みで迷ったら必ず相談に行きたくなる” ような信頼のイメージだけが利用され続け、孔子にしてみれば完全に風評被害です。
その経緯がこの本を読むことでわかり、あらためて孔子をチャーミングで経験豊富な大先生として尊敬することができました。

 

 

この本は終盤になるほど、著者のエモさが炸裂してきます。
ちょっと日本を美化しすぎだろうと思うくらい、日本での『論語』の残りかたを褒めています。日本は礼教の残酷さを取り入れなかった点がすぐれていた、という見かた。
これはどうなのでしょうか。わたしは当時の日本の人々がすぐれていたというよりは、単純に礼教がエグすぎたと見るほうが自然だと思います。江戸時代よりもうんと前から、儒教道教や漢訳仏教の教えは日本に伝わっていますから。
その土壌があったうえで、明清時代(14世紀から17世紀)に変化した異様な中国の教えに触れても「さすがにこれは、トンデモすぎるだろー」とスルーしたのでは? と、わたしはそれだけじゃないかと思うのです。
遣唐使の時代から、ずっと中国の学問に憧れ続けてきた歴史があったから、おかしなものに気づけたのではないかと。

 

 

さて。それはそれとして。
この本を読んだきっかけは、少し前に読んだ『嫁をやめる日』という小説にあった、未亡人という単語の説明でした。小説ではさらっと国語教師のセリフに含まれていただけですが、この本を読むと「礼教」の恐ろしい実態を知らされます。
朱子学と礼教では未亡人が自殺をやり遂げると「烈婦」として褒められたそうで、インドのサティーのように夫の身体を焼く火の中に入って焼身自殺せよという段取りまでは決められていないものの、餓死であったりそのほかの方法であったり、とにかく遂行すると褒められる独特の価値観があります。

 


この本は、それまで気になっていた孔子のキャラと儒教のイメージのギャップ、「未亡人」の生き方の他にも学ぶことが多くありました。

大きく、三つありました。

 

劉邦のキャラクター

わたしは中国の文学には詳しくありませんし、三国志も人形劇でしか見ていません。それでも『項羽と劉邦』は国語の教科書で知っています。
その劉邦がもともと田舎の無頼漢で、ものすごい儒者嫌いだったことを知りませんでした。劉邦は自分が皇帝になってから、もともと地元の仲間だった臣下たちの意識の低さが気に触るようになり、そこへ接近した叔孫通(しゅくそんとう)という儒者の進言に従い、その儀式の荘厳さに感激して儒教の国教化が始まったそうです。
このことが、第二章にある「われ今日にして初めて皇帝たることの貴きを知れり」で説明されていたのですが、なんだか豊臣秀吉を想起させます。

 

自分の中国文化への関心が唐王朝時代に偏っていたこと

この本を通じて様々な王朝と儒教の関係性を追うのに付随して、これまでわたしが好んで追いかけてきた中国の文化が唐時代に偏っていたことをあらためて知りました。
西遊記』は明の時代(16世紀)に書かれているけれど、唐の時代を舞台にした物語です。
三教指帰空海著 も、儒教・仏教・道教の三教が王朝から保護と崇信を受けた時代の学問の熱量を伝えてくれているもので、この三教が並立した時代はあらためてアツい! と感じました。
これからは「昔の中国文化の影響を受けまくっている」などとざっくり言わずに、「唐王朝の三教並立時代の中国文化の影響を受けまくっている」とハッキリ言えそうです。

 

毛沢東の「文化大革命」での孔子の叩かれかた

この本は、著者が子供の頃に、おじいさんがこっそり『論語』を教えてくれていたのだけど、それが『論語』出会ったことを後から知った、という経緯から話が始まります。
わたしはこの本を読むまで毛沢東孔子叩きを知らなかったのですが、孔子のほかに孟子司馬光朱熹を悪人とした選択の経緯を知りたいと思いました。
インドのラーム・モーハン・ローイが行なった改革と比べて、ずいぶん直接的なやりかたをしているのが気になり、そのくらい激しい国なのだということをあらためて感じました。

 


途中でも書きましたが、この本は『嫁をやめる日』という小説をきっかけにたどり着きました。興味関心や掘り下げの連鎖というのは数奇なものです。
わたしは40代になってから『論語』を読みましたが、読んでいない人も「四十にして惑わず、五十にして天命を知る」を、よく話題の中で引用しています。(←中年あるある)
わたしにしてみれば「いったいこれまでに何人の日本人が孔子グルジのシャクティパットを受けてきたんだよ!」というくらいの、すさまじい影響力です。
教えの広まりかたというのは、それを伝える社会の潜在的な条件付けの影響を避けられないけれど、言葉の原典に近いものは、その真髄が時代と国を超えて日常に浸透することがある。

 


この本は、『論語』のなかの孔子の人間らしさが大好きな人にとって、胸が熱くなるような素晴らしい本です。でも、サブタイトルには<日本と中韓「道徳格差」の核心>というフレーズが添えられている。
こうすると売れるからという背景はわかるのですが、わかるからこそやめておいて欲しかったと、そんな感想も抱きました。新書という形がそもそも怒りベースの購買意欲を煽る売り方なのはわかっているのだけど。

 

 

 

▼今日の内容に出てくる・関連する本の感想

 

(さらに・・・)

西遊記はいろんなバージョンで読んでいて、あちこちで参詣しているのでカテゴリとしてまとめています。