新年の挨拶はもう時期外れになってきましたが、先日、「今年もどうぞよろしく」と言いながらお会いしたヨガの先輩からこんなことを訊かれました。
自分の感情を手書きでノートに書くとか
そういうのって、してる?
とても新年らしい話題です。
「してますが、なんで?」と質問返しをしてみたら、
「そういうの、やってそうだから」
と言われました。
「ええ、やってますとも」
「やっていますとも!!!」(←強調したいので二行使いました)
この流れでわたしの考えを話したら、なんか妙にウケました。
お手本にしている人がいる
わたしは自分の内面を書くときに、精神面でお手本にしている人がいます。
醜い感情や失敗に対する言い訳の気持ち、ずるい算段、恥ずかしい思考を書き出す際に、その人を思い出しています。
わたしはその人を世界最強と思っています。なのでつい、ウザいくらい、そのすごさを具体的に熱弁してしまいました。もはやプレゼン、という勢いで・・・。
あの人はもう、「セルフ週刊文春」てくらいのレベルです。
とことん、自己を暴き出すんです!
この「セルフ週刊文春」が、なんかウケましてね・・・。
ちなみにそのお手本にしている人は、このかたです。性欲に負けたエピソードの開示がとんでもないレベルです。聖人ってこういうことかと思いました。
── ここから話は変わります。
ガツンとくる小説の感想文を書くときがチャンス
わたしは同時代を生きる作家が書いた本で、これは!!! と思った本の感想を書くときに、「ジャーナリング」(わたしが言うところのセルフ週刊文春)に近いことをやります。
読書をきっかけに導き出された思考を書き出すと、自分の性格のぐちゃぐちゃしたところが見えて、人間性の修正材料が可視化されます。
うわーここはわたし、イヤな感想の持ち方をしてるな・・・、ひとりで当てこすって意地悪だな、しかも虚栄心の包み方がダサい! というふうに、自分の文章の引っ掛かりをきっかけに、消しても消しても湧いてくるゾンビな価値観が見えてきます。
手書きメモの具体例
わたしは自室やカフェで、読み終えた本を片手に以下のようなメモをだーーーっと書きます。
今日は、以下のブログを書いた時の下書きメモを紹介します。
(手帳の裏面の文字が透けて見ずらかったので、画像のコントラストを強めました)
ガツンとくる小説は読んでいる時点でしんどいので、このように紙に書き散らかしたものを、あとから他人にもわかるような文章になんとか繋いで感想を書いています。
「セルフ週刊文春」のきっかけとしての読書
ああ、こんなふうにゴチャゴチャのまま書き出せばいいんだ・・・と参考になったらよいのですが。
小説の中の人物を「どう見ているか」が可視化されると、実生活の中で他人をどう見ているかがわかります。
そうやって自分の傾向が掴めると、いやな思考パターンを補強する情報に気をつけることができます。人は「あなたは悪くない」という情報を集めたがるものだから。
(「あなたは悪くない」「あなたはイケてなくないよ」というアルゴリズムに包まれているSNSの広告が狙っているのはそこだから)
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わたしは世間で「モヤモヤ」と表現されるものは、自分の価値観と社会との折り合いで葛藤しているってことがほとんどだと思っています。
スマホ(=ネット)の普及で一般人の意見が多く目につくようになって、価値観が雑に多く可視化されればされるほど、「自分はどうなのか」の確認作業がますます必要になると感じています。
流されないとかブレないとかそういうこと以前の、もっと手前の段階で「AIが要約・特定できないわたしの優先順位」を知るためにやっています。