うちこのヨガ日記

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心の訓練 ― メメントモリ(死を想え)チベットの命取扱い書 野口法蔵 著

心の訓練 ― メメントモリ(死を想え)
序盤は各国の命の価値についての考え方、中盤でさまざまな仏教家の生きざま・死にざまが紹介され、最後にチベット経典「ヤマンタカ」の紹介があります。八木上人や佐々井秀嶺さんのエピソードも登場します。
内容はドスンとくる一冊なのですが、特に「ヤマンタカ」からはチベット仏教独特の、厳しさの面でワイルドな精神修行の雰囲気(ミラレパたんのエピソード同様)がよく感じられます。よくもここまで煩悩のディテールをつぶさに分解したものだ、と驚くばかり。エゴの分解の粒度で、チベット仏教はつくづくすごいと思います。
ヤマンタカ以前の部分の紹介はリアリティが重要な一冊かと思いますので、読みやすさを優先して年代や金額は英数字に書き換えて、漢字変換も多少調整のうえ引用紹介します。


出だしは「人の命は十万円(ビルマ)」という題でした。
冒頭は、こうです。

 人の価値、つまり人の命とはいったいいくらなのでしょう。皆さんは交通事故の調停や裁判での判決を想像するでしょうか。しかし、これは遺族の生活の補償額であり、亡くなった本人の価値ではありません。遺族にしても、幸福に暮らすという意味では金が入って、返って家族が散りぢりになったということがあります。

このあと、実際に今のミャンマー・旧ビルマに飛行機が落ちた事故の事例が紹介されます。多くの死亡者を出した、この本の著作時(1994年)よりも30年以上前で、犠牲者一人につき200万円の保証金の提示があったそうです。この額はと当時のビルマの物価と比較しても少なかったのですが、ビルマ側の村は合議の末、一人につき10万円しかいらないと言って来たそうです。
そのときの言い分はこういうことだったそうです。

人一人の価値はそんなに値いしない。10万円で充分である。10万円あれば立派な葬式を出すことが出来、数年作物が実らなくとも家族は生活して行ける。もし200万円もらうならこの部落は今までの様に平安に行かなくなるかもしれない。

この事例の後、日本や他国の例が挙げられていきます。
幸福に対する全体観、永遠観について考えさせられるエピソードでした。
出だしから、ズドーンとくる。
以下は、著者さんの意向を踏まえて、ひとつの題目を全文紹介します。

<第二章 自己犠牲心 より 『横塚上人伝(スリランカ)』>
 1980年代の中頃、スリランカで日本人の僧が一人亡くなった。その死は紛争を停めようとして、その身にハチの巣のように弾丸を受けて倒れた、壮絶なものであった。
 当時、やはり私はスリランカに居たのだが、山中にこもっていたため、暫らく後になって知るにいたった。その当時から現在にいたるまで争いは続いており、インドにまで飛び火した。そして、インド、スリランカ双方の首相までが暗殺された。
 この紛争の元々は、スリランカのジェフナという北の一地方が、無理な独立を主張してテロ行為に出たのがきっかけであった。スリランカ政府はまず争いを避けるため、手離しにその地方に自治権を与えた。だが暫らくして、完全独立を主張し、畑に出ていた農夫を撃うなど、無差別な攻撃に出た。スリランカ政府は、軍隊を出し本格的に銃撃戦となり、街中でも突如として、銃撃や爆発が起こるといったほどにまでなっていた。
 事の始まりは、イギリスにある。イギリスが植民地時代、旧セイロン(スリランカ)に、自国へ紅茶を送るために大規模な紅茶畑を造った。インドのアッサム地方より茶の苗木を持ってきて、セイロンにより近いタミール州より人を働き手として連れて来た。この人々が北に住み定住したため、スリランカは二民族となって始まった民族紛争である。元々、住んでいた土地が異なるので、宗教も言語も違う。タミール人はヒンドゥー教スリランカのシンハラは世界最古の仏教徒である。イギリス領セイロンからスリランカへと、独立後もタミール人はインドに近い北方スリランカに住み、カースト(身分)も収入も低い存在であった。その不満が独立主張へと出たのであるが、今では無抵抗の者までおそわれる事態となった、武器の類は、小さい海境をはさんだインド、タミール州より入って来る。手をやいたスリランカ政府は、インド中央政府にとりなしを頼んだ。そんな中での出来事である。
 街中で軍とタミールテロ集団との銃撃が始まった。そこへ黄衣の日本人僧があらわれる。スリランカ日本山妙法寺、横塚上人である。
 横塚上人は銃撃戦をやっている中を、その弾が飛び交う真ん真中を一人争いをやめさせるため、皆に見えるように歩んで入って行ったのである。
 スリランカ政府軍の銃撃はやんだようであるが、タミール軍はやまなかった。その身に黄衣しかなく、頭を剃ったただの仏教僧を機関銃で穴だらけにしたのである。それでも戦闘のはずみだったのであろう、我々と関係ない日本人が死んだと知れると戦闘は一時的にやんだそうである。
 彼の死が日本に伝わるや、「犬死に」と言った人が多くあった。また、不惜身命とはいえ30才前の身では、自殺と変らぬと言った人もいた。しかし、これは大いに間違っていると思う。戦闘は一時的にしろ、やんだのである。これまで皆の目にも明らかに、自らの身をもって停めに入ったものはかつていなかった。そして、これが殺し合っている者の心を打ったのである。今までにこういう事はなかった。皆、逃げているばかりだった。人は実際、チンピラが駅の改札口でからんでいるのに出くわしても、停めに入るのは恐いのである。
 銃撃のすさまじい音の中では動こうと思っても、足はすくんで動かないだろう。ましてや心はおそろしさだけに埋めつくされているにちがいない。結果だけを考えてみても、自分が死ぬだけで効果があるかどうか解らない。そんな中を、南無妙法蓮華経と大声をあげて静々と入って行かれた。この「南無妙法蓮華経」は、そんじょそこいらの南無妙法蓮華経とはわけが違う。
 その葬儀は国葬となり、大統領、首相がひつぎを持ち、その姿が新聞、テレビで報道された。スリランカ国はその日、皆喪にふくしたという。横塚上人の行為は効果を考えても出来ることではない。ただ、命を捨てようとしても出来ない。それはその場に余裕がなくなる。はるかかなたを考えていなければならない。
 そこには、人が一人でも助かる可能性があれば、この世に生まれ来た自分のためにも、やらなければならないという宗教者の心がある。また、それは自分自身が助かるためでもあった。
 私は同地、同時の異国でこういう日本人を知って、山中で涙した。この事はまだ日本では知る人は少ない。ここに一文をもって紹介し、記憶しておいてもらいたい。

それぞれ、感想を持つでしょう。著者さんとまったく同じ気持ちでは読まない人も多いと思います。
わたしは「また、それは自分自身が助かるためでもあった」という部分が心に残ります。
宗教大国インド、スリランカの首相が暗殺された時代。今でも都市部や有名な寺院には銃を持った警官をあちこちで見かけるスリランカ。若き青年がそのときスリランカで感じたことは想像が追いつかない。


最後に、この本に紹介されているチベット論典(ヤマンタカ)のなかから、いくつか引用紹介します。
ヤマンタカそのものの解説を冒頭で箇条書きで紹介します。

  • ダライラマ派開祖のツォンカパ大師の最も尊敬したアテーシャの師、ダルマラクシータが千年前につくった。
  • アテーシャがサンスクリット語チベット語に訳し、近代に入ってチベット人が英訳したもの。
  • 旧派のゾクチェンに対し、ラムリンとも呼ばれ、現在チベット僧の七割を占める観想法。
  • 単に自己の戒めや、責めではなく、自分自身がヤマンタカとなり、もう一人の自分から抜け出る。自分の身をつきはなし、自分には身はないと言いきり、自分というものを二つ創って、対応しながら観想し、菩提性を高めるというもの。
  • 途中何度も繰り返される部分は、念想を高めるためであるから、省略しないように注意指導されている。


「鋭い武器の回転」という題がついていました。このフレーズが何度も出てきます。
119のスートラがあるのですが、いくつか印象に残ったものを選んで紹介します。

【31】
すべての事が、宗教的なことでも、世俗的なことでも
問題に陥り、そして駄目になる時
これは、私たちが今までしてきた誤りを、そっくり
そのまま我身へと返す鋭い武器の回転である
今まで私達は因果を軽視できるものと思っていた
これからは、忍耐と活力をもって行おう



【42】
どんな徳業をしても
深い後悔の念を感じたり、その結果を疑ったりする時
これは、私達が今までしてきた誤りをそっくり
そのまま我身へと返す鋭い武器の回転である
今まで私達は、気まぐれで、そして卑しい動機にかきまわされて
権力や富のある人のみの機嫌をとってきた
これからは、完全なる自己認識によって行動しよう
友を作る方法に十分に気をつけて



【44】
魅力や反感の力が、聞いたり言ったりすることのすべてに色をつける時
これは、私たちが今までしてきた誤りを、そっくり
そのまま我身へと返す鋭い武器の回転である
今まで、私達は、すべての問題の原因を無視してきた
心にひそむ迷妄の数々を
これからは、すべての邪魔物を捨て去り
その発源に注目し、それをよく調べてみよう



【83】
私達は、友情を長期の約束として考えず
古い仲間たちを思いやりなく、なおざりに扱う
そして見知らぬ者と新しく友達になる時には
気取ったやり方で、印象づけようとするのだ
踏みつけよ、踏みつぶせ、この当てにならぬ
利己的観念をもった頭の上で跳ね回れ
究極の解放を手に入れる好機を殺す
この自己中心的屠殺屋の心臓を引き裂け



【105】
おお心よ、ここで論ぜられていることは、すべて
相互に依存している現象であることを理解せよ
なぜならば、物事は、存在するためには
何かに依存して現われてこなければならず
ひとりであることはできないのだから
変化の過程は、魔法のように魅惑的である
物理的な形というものは、ぐるぐる回るたいまつが
炎の輪に見えるように、精神的現象にすぎないのだから

とことん追い詰められる戒めと、生きかた指南。
自分の中のきたない部分を、あるものとして見つめる力。
「魅力や反感の力が、聞いたり言ったりすることのすべてに色をつける時」の、色。
こういうことで共感して、正義感で傷を舐めあうことは、よくある。
メディア消費のからくりを暴かれるようでもある。
チベット仏教、おそるべし。


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