うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

動物農場 ジョージ・オーウェル 著/山形浩生(翻訳)

ずっと気になっていた本をやっと読みました。読みはじめたら数日で読める、グイグイ読まされる本でした。

少し前に友人のブログにこの本のことが書かれていて、英ガーディアン紙が選ぶ「死ぬまでに読むべき」必読小説1000冊にも入っていて(わたしは近頃このリストが気に入っているのです)、それで気になっていました。

 

翻訳がいくつも出ているようですが、書店で目にして、こんなにちっちゃい文庫なら読めそう! しかも装丁がオシャレだ! と思ってハヤカワ文庫のものを入手しました。

 

一度読んでから、Youtube1954年のアニメも観ました。

昔ながらのおしゃれさがあって、わたしの好きなトムとジェリーのようなタッチ。話を知っているので英語でも感覚的に観ることができます。映像で観ると、牛、豚、馬、鶏などの動物の頭数や牧場の規模感が頭に入りやすくなります。

1時間12分ほどの作品で、「animal farm 1954」で検索すると、Youtubeに多くの言語のバージョンがアップされています。(日本語版はありませんでした)

 

 

この物語を読みながら引き起こされる記憶は、これまでに所属してきた組織の中での出来事と、

そのほかにも

 

を想起しました。

人生経験や歴史としてリアルタイムで知っていることをあらためて見直すよい材料になりました。

 

 

とにかくキャラクター設定が絶妙です。

いろんな偏り・人格の脆弱性が詰まっています。

本筋には触れず、だけど読んだ人には伝わるよう書くと、こんな性質を持ったキャラクターが農場で立ち回るお話です。

 

<各メンバーのここがすごい!>

スクウィーラーの詐欺師的嗅覚と話術、ボクサーの24時間テレビ的求心力、老ベンジャミンの低カロリーな諦念、モリーの正直な自己愛とフリーライダーっぷり、クローバーの中間管理職手前のセンパイ感、勉強はできるが意思のないミュリエル、スノーボールの猛烈イノベーターっぷり、ナポレオンの勝気とグルーミングの知恵。

 

 

  *   *   *

 

 

暗喩と皮肉とリアリティで突き進んで、最後までものすごいスピード感。無駄なくコンパクトにキュッとまとまっていて、これは小説といえば小説だけど、人間関係の教材です。

わたしはこの物語にあった要素のうち、特に以下の4つが印象に残りました。

 

 

ここからはストーリーに触れていくので、

これから読もうと思っている人は、今日のところはブラウザを閉じてください。

 

 

  *   *   *

 

 

すでに読んだことのある人は、わたしとふたりの読書会気分で

どうぞこの先もお楽しみください。

わたしはぶっちゃけ、自分のこれまでの経験からこんなことを思ったのです。

 

 

  *   *   *

 

 

  1. 産んだ卵を自分で壊す雌鶏たち
  2. なりゆきでホーリー・マザー視されるクローバー
  3. 老いの利点を生かせないベンジャミン
  4. スクウィーラーの思考が一線を越えるきっかけ

 

産んだ卵を自分で壊す雌鶏たち

理不尽さへの反乱として、本文中にも「初めて起こった反乱らしきもの」と書かれていました。

自然の機能を蹂躙されるときに、仲介者となるメスの身体機能は、生み出すメリットとリスクが極端すぎる。その描き方がクールだなと思いました。卵を生産するメスは二重の被害者なのかという問いを突きつけてきます。それに対する反乱のアクションとして、雌鶏たちの行動がかっこよく見えました。

 

 

なりゆきでホーリー・マザー視されるクローバー

頼れる父親的存在がなくなったあと、その近くにいたメスというだけでホーリー・マザー視される現象が、カルト教団ぽいと感じました。

一瞬の描写でしたが、この物語にはこういう要素が細かく入っています。ページをめくるごとに何かの歴史を想起させる行動が書かれていて、スピード感がありながら濃厚で、仕事中も続きが気になってしょうがありませんでした。(通勤電車で読んでいました)

 

 

老いの利点を生かせないベンジャミン

長く生きているとそういうことも感じなくなるんだよ、と低カロリーな精神労働をしていると、知恵はあっても大切なときに手遅れになってしまう。

斜に構えて年齢を重ねることの残念さがこういう描かれ方で締められるのかと、重く感じました。

 

 

スクウィーラーの思考が一線を越えるきっかけ

何かを思い込もうとしているスクウィーラーに、ボクサーが正論を言ってしまう第7章が最も印象に残っています。「言ってしまった」んですよね・・・。口は災いの元。

 

その小さな輝く目は、ボクサーにかなりどす黒い憎悪の視線を向けているのがわかりました。

 

三者的に見つめるこの書き手は、スクウィーラーの目も輝いていることを示していて、この憎悪は「いいことをさせろコノヤロー!」という性質のもの。自分には何もないと自覚している人だからこその、あの怒り。

みんなが役に立ちたがっているはずのところで生じるコンフリクトを、こんなふうに描くなんて。「いいことをしたかったのに」という思いのややこしさが、この瞬間にぎゅっと濃縮されていました。

 

 

  *   *   *

 

 

わたしは今から70歳までの間に、できるだけ世界で共有されている物語を読もうと思っています。少し前まで、「2030代の頃に想像していたのとは違う方向へグローバル化が進んでいる」と感じていたけれど、そうじゃなかった。自分が人間社会の歴史に参加していなかっただけなのでした。

世界で起こることを目の前の人と一緒に考える際に、世界で共有されている物語が役に立ちます。選択の多様化が行き渡って(行き過ぎて?)、マニアックさでつながる時代が終わって、こういう本がつないでくれる人生の豊かさがやっと味わえるようになってきました。

昔の人って、年齢が若いうちから大人だったんだなと、近頃よく思います。