うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

バガヴァッド・ギーターのiPhoneアプリ


バガヴァッド・ギーターはヒンドゥーなインド人にとっては聖書のような存在。
ヨーガの聖典はヨーガ・スートラなんでしょ、と思われるかもしれませんが、ヨーガ・スートラ(以後「Y.S.」)は時代的に仏教をはじめとするインド哲学の面々が悟りと解脱についてしのぎを削りまくった時代の書物なので、聖典ではあるけれども「ヨーガ学派的にはこう悟るね!」というニュアンスの書物であったりします。なので、ヨーギーだぜ、ヨギだぜという立ち位置で読む書物なら素直なのですが、インド=ヨーガ=ヨーガ・スートラという単純な話でもない。


それ以前の、ただの人ひとり、ただのわたしとして、日々変化する世に身を任せながら泳いでいくにあたっては、聖典としては「バガヴァッド・ギーター」のほうが超・定番です(以後「B.G.」ジェームス・ブラウンをジェイビーと呼ぶのと同じ感じで!)。イスラームコーランと違って人の世が確立されているところに啓示する前提ではない、「あっちのせかいのトーク(神話)」という設定。なのでシチュエーションにはトンデモな場面もたまにあるのですが、日々を丁寧に生きていこうと思ったときに沁みる句が多い。


インドでは食事の前に15章14節「わたしはこれから生命を司る火になって、アパーナ気&サマーナ気と結びついて、4種の食物を消化いたします」という意味の句を唱えたりします。これが沖先生調になると「えいようせっしゅのちかいっ!」ということになります(笑)。
4種は、飲む噛む吸う舐めるみたいな分類。アパーナ気&サマーナ気はゴレンジャーの中のレッドとブルーみたいな感じで、気にもいろんなのがある。


というB.G.が、ヨーガ・スートラよりもサーンキヤ・カーリカーよりもうんと前に、すでにある。
ほかの教派と主張のディテールを詰め合う前なので、ヴェーダ聖典の教えに近いヨーガが語られています。
ものすごくかいつまむとB.G.はアーユル・ヴェーダの理解から来るとすんなり入りやすくて、Y.S.は空海ファンだと入りやすい。まあ仏教っぽいんですね。で、おもろさはそれぞれにあるのですが、日常をごきげんに生きていくためにどっちを枕元においた方がいいかっつうと、B.G.です。
そんな聖典なので、当然アプリが無料でたくさんあります。インド人はITに強いので、Androidでもほかのとこで探してもやたらあるはず。
まず最初に作るんじゃないかと。そんなわけで、検索すると大量に出てきます。



わたしはさくっと参照するのには、これを愛用しています。
サンスクリット文字とローマ字表記をぱっぱと切り替えやすい。




「Krishna Varma」さんのやつね。





まるで目覚まし時計のように章と節が選べる。便利。





これの左のアイコンのやつです。



で、訳は音符のマークのやつのほうがひねっていないので、好きです。




2章のタイトルはだいたい「ギーター概略」とか「ヨーガの知恵」みたいなばっくりした名前を付けられがちなのだけど、このギーターは

  • 2章=サーンキャ・ヨーガ
  • 3章=カルマ・ヨーガ

とされています。こういうディテールの素直さというか、わたしが意外と「そこは親切にまとめない方がいいのに」と思うポイントが守られている。よく「仕様書っぽく書いてある」と言ったりするシンプルさ。
ガンジーも愛したという2章は非常に「巧妙」な章なので、ここを要約と思ってすんなり読んでしまうのはもったいない。とはいえサーンキヤを語っているかというと、実はそんなに語ってない。ここはなんというか、「おれここも網羅したもんね!」というジャイアンっぷりを楽しむ章です。
という読み方をする上で、このシンプルな訳が実にいい。





歌で聴くこともできる。




そのうえ、なんと一節をワンタッチでメールできる。


なにこの需要(笑)。


なんとなくノリとしては百人一首に似たような感じなんだけど、そもそも生活が宗教的だから、もっと生活に根づいてる。なにか教訓めいたもののとおりだな、ということが起こったときに、「ギーターの4章にあったねそんな節」というような。
わたしは宣言モノがけっこう好きで、さっきの食前の句もそうだけど、たとえば寝る前に「わたしはこれから意識を軽く失います」って思うだけで、かなり意識の休まる度合いも違うってなもんだと思います。意思するって大事なんですよね。
ギーター、おもろいですよ。


▼おまけ:過去のギーター関連日記紹介


★おまけ:バガヴァッド・ギーターは過去に読んださまざまな訳本をまとめた「本棚リンク集」があります。いまのあなたにグッときそうな一冊を見つけてください。