うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

パリの砂漠、東京の蜃気楼 金原ひとみ 著

はじめはハイピッチでどんどん読みたくなったけれど、文章に慣れてきたら落ち着いたペースで読めるようになりました。

落ち着いたペースで読めるようになったのは、情報が負担にならないように書かれているから。わたしは一度ギアが入ったらこのリズムを逃すまい、感度が鈍るまえに捉えたいという気持ちになってどんどん読み進めてしまうことがあります。それはだいたい文章にクセがあるときで、この本はそういう負担がなく安心してペースダウンできました。いまはなるべく読むのに時間がかかる本のほうがありがたい。

 

生活情報、環境情報、慣れと不慣れの感覚、順応できなかったこと、パリから日本へ戻って来てなぜかしれっと受け入れることへの違和感、そんなあれこれが整理して述べられている中に、自分の心の奥底にあるさまざまなことへの潜在的な境界線の引き方が書かれています。

読み手に多くの情報を与えながら自身の根っこの部分まで書いている。途中何度かものすごいバランス感覚だなと思う瞬間があったのだけど、ちょっと心配になるような出来事のさなかにある自己開示の以下のくだりで納得しました。

こんなことさえ小説に使えるなと頭のどこかで考えている私は愚かさの塊、本来であれば存在しないはずなのに何かの間違いで存在してしまった存在として生き続ける他ないのだ。

(12 フランス より)

なんとも職人ぽい。

 

あきらかに世の中で話題にされやすい男女の役割分担に多く触れているけれど、そういう話題はこういうちょっと小説っぽい感じで読むのがいい。そして、何かに対して嫌悪感を抱く自分のちゃっかり感に対する罪悪感も、短い言葉で差し込んでくる。

この「ちゃっかり」というのは喉元過ぎたら熱さを忘れるような種類のこと。それを、あのとき確実に自身の暴力性を認識してたくせにこの自分め! と落ち着いた視点でつかまえる。

 

 

コミュニケーション・ツールの使い方も印象に残ります。最後の一文が「そして能天気なスタンプも忘れずに添える。」で終わるものがあって、友人の多い生活を送る人の油断の無さがこういうちょっとしたところで伺える。精神の覗き見趣味を刺激する。

大人になったからといってなくなるわけではない感覚や、海外で暮らしたからといって堅牢になるわけでもない信念、女性が日本で自衛の為にやらなければならないさまざまなこと、そして日本から出たときだけに感じられる気楽さ。どれをとっても思い出される経験がある。

パリと東京の境界にあたる章に「それは地獄からの脱出で、新たな地獄への旅立ち」と書かれているのはまったく悲観的でない気持ちで膝を打てる。なんでもかんでもポジティブにクロージングしなければ気がすまない人を怒らせそうなことがいくつも書いてある。自分を戒めたいときにまた読みたいと思う本なのに、まったく説教臭くない。

身近な人にやさしくありたいと本気で考える人ほど、「ていねい」「ひかえめ」「自粛」のような単語を使うことに慎重になるはずというわたしの密かな仮説が立証されている。この本の中の世界では、立証されている。なんかうれしかった。

 

パリの砂漠、東京の蜃気楼

パリの砂漠、東京の蜃気楼