うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

京都ぎらい 井上章一 著


京都のちょっとよくわからない感じがよく説明されていました。
この本の一貫性は、ここにあります。

私が京都をなじりたく思うのは、私に差別意識をうえつけた点である。
(43ページ 洛外を生きる より)


事例のなかでは、プロレスラーのエピソードがおもしろいです。
中盤くらいまで、「東京の人が京都をあまやかすから、つけあがる」ということが何度か書かれているのですが、他県と同じように褒めていても、京都の一部の人が「エッヘン」となる度合いが強いというだけで、そこに対してはあまりなにも思いませんでした。


大阪との対比は少しおもしろくて、実際に経験したことを思い出しました。
大阪に住んでいるかつての同僚と京都で待ち合わせて観光したときに、東京から来たわたしのほうが妙によく扱われたことがあったから…。でも実状をいうとわたしは新潟出身で、同行者は東京に両親が居て本人は大阪勤務(本社は東京)。大阪に住む彼女がその時に「いまの、めっちゃ京都っぽい」と言っていたのを思い出しました。
この本を読むと


 京都府 ⇔ 京都市 ⇔ 京都(洛内)


の区別があることが分かります。
わたしは東京と関西でヨガクラスをするので、京都府が実家であったり京都府に住んでいるヨガをする人と会える機会が少しありますが、あまり気にしたことがなかったな。県外からの感覚だと、大阪寄りなのか福井寄りなのか、という見かただし…。


後半は、税金や財政の話がおもしろかったです。

 それにしても、明治新政府の強権ぶりには、うならされる。寺の土地を半分以上、寺によっては九割までをうばいとり、国家の財政へ供させる。おそるべき荒技である。こういうやり方を見ていると、明治維新はたいへんな革命だったんだなと、思い知る。
(145ページ 歴史のなかから、見えること より)

このページに至る説明を読んだあとなので、ここまで読んだあたりで財政面での明治維新のイメージがリアルになりました。


読んでいると、「ずいぶんこじれたもんだね」という感じで、わたしの世代にはあまり関係のない話に見えました。そんなことないのかな。ヨガで会う人たちがフラットなだけか…。



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