うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

人間ぎらい モリエール 作 / 内藤濯 翻訳


1666年発表の戯曲だそうですが、いま読むと主人公の男性・アルセストの発言が「ストーカー心理」の描写そのもののように読めて、これが喜劇になっている。すごい…。
ほかの日本語訳では「孤客―ミザントロオプ」「厭人家」「世間嫌い」「怒りっぽい恋人」などのタイトルで出ているようですが、ストーカー心理という点では「孤客」が近いかも。
登場人物は宮廷の人たちなので、男女かまわずみなさん弁が立つ。美人と不美人のバトル、文章が下手なもの同士のバトルなど、主人公の周辺で繰り広げられる会話もすごくて、読むのを止めることができないスピード感。「あなたのためを思って」というエクスキューズの上での発言なんて通用しない。物語はド直球な反論の応酬で展開して行きます。


主人公の男性・アルセストは他者からの忠告にこう答えます。

それはそうかも知れません。人の心の中は見えるものじゃありませんからね。しかし、それにしても、そんなことを僕に考えさせて下さるなんて、御親切がすぎて御親切がないも同じじゃないでしょうかね。

アルセストの心が手に取るように痛々しく見えつつ、理屈は通っていたりする。



気が狂うほどに恋焦がれてしまった相手の女性に対する発言も、今でいったら自暴自棄になって事件を起こす人のよう。

馬鹿おっしゃい! あなたは、僕の弱点につけ込んで、そんなことをおっしゃるんだ。もちろん、僕はあなたの優しい言葉で欺かれている。でも、かまいません、僕は僕の運命に従うばかりです。僕はもう、否でも応でも、真剣にあなたを愛するより道はない。将来あなたの心がどうなるのか、僕の心を裏切るほど陰険なのか、僕はどん詰まりまで見ていたいんです。

ストーカー男性に相手の女性が「まあ! あなたったら、ずいぶんかわった恋をなさるわ。」と応える感じがちょっとおもしろい。「かわった恋」ってのがジワジワくる。ストーカーも暖簾に腕押し状態にされちゃう(笑)。



そんな「ずいぶんかわった恋」をするアルセストの世間に対する言い分は、こうです。

ああ、僕はもう、人間のつくりだす苦しみには辛抱がしきれない。僕はもう、こんな悪人の巣窟みたいな危険きわまる場所にいるのはごめんだ。悪人どもめ、貴様たちは狼にでもなり切らなけりゃ、人間づきあいが出来ないんだったら、もう一生、貴様たちといっしょにいるなぁごめんだ。

ここで友人・フィラントが「そんな気になるなんて、どうもせっかちすぎるよ。」と言うのですが、そうなんだよな、「せっかち」なんだよな…。とあらためて思う。



そしてこの友人・フィラントがすごくいい。
このセリフがいい。

いや、君の言うことにはみんな賛成だよ。世間の事はなにもかも陰謀ばかりだ。欲得ずくめだ。今じゃ狡く立ちまわる者ばかりが、勝ちを占める世の中で、じっさい人間はなんとかならなければいけないのだ。しかし、人間のやり口が公平でないから、君が社会から離れたいというのは、どうも我が意を得ないな。人間にそういう欠点があればこそ、我々はこの世の中に生きていて、我々の哲学を練る道が見出せるのだ。そしてまたそこに、人間道徳のいちばん立派な運用があるのだ。もし何事も正直ずくめで、だれも彼も率直で公明正大で従順だったら、美徳というものは、大部分無用なものになってしまうよ。なぜといって、こちらが正しい場合、他人の不正を気持よく堪え忍のが美徳の美徳たるゆえんだからだ。

ここで、ああ、持つべきものは友人であるよなぁ、とジーンとくるのですが、言われたアルセストは「父さんにもぶたれたことないのに!」みたいな反応をするんですよね…(笑)。根っこのところで自己批判ができないアルセストが、いちいち痛くて沁みます。



 自分のことでいっぱいになる



この心理を喜劇にするって、すごいよなぁ。
夏目漱石の小説には何人か自我を爆発的にこじらせた人が出てきて、その自我を散らす役の友人知人が登場して実際なんとか散らすみたいな話をよく見ますが、この「人間ぎらい」はちゃっかり誰かが幸せになるのがいい。結局世の中、好かれたモン勝ち?
ものすごく短くて大きな文字ですぐ読み終わってしまうのですが、こりゃあすごい話です。


▼紙の本



Kindle


▼追記:再読しました
uchikoyoga.hatenablog.com



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