先日、地方へ生ブログをやりに行ってきました。
初参加者リストの中に、かつて多くの時間をともに過ごした友人が結婚後に変わった苗字に身を包んで潜んでいました。
彼女は当日、ニヤニヤしながら現われました。彼女と会うのは20年ぶりくらいではないか。学生生活のあとにどこかで会った気もするけど、思い出せない。いま彼女が住んでいる地域の名前を聞いてもよくわからなくて、またニヤつく。もはや、どんな気持ちを誤魔化しているのかもわからない。その日はピンと来ないまま終わりました。
はじめは「ひやかし」や「サプライズ」のような要素もあるのかと思い、実際彼女からおちゃめな手描きの「ドッキリ」というメモも見せられたのだけど、あとで聞いたら彼女はすでにヨガを始めており、ヨガについて少し深入りしてみたくなる段階で情報を検索するなか、「うちこ」を見つけてくれたといういきさつでした。
彼女は当日、会場まで歩きながら「ヨガを学びに行くのか、ネットで文章を読んでいる人の話を聴きに行くのか、その中身である同級生に会いに行くのか」混乱したとのこと。
よくある「なつかしい友人との再会」の話ではあるのだけど、講座のあともわたしは彼女からなんの残像の解凍を求められることなく、わたしもただ混乱したまま帰っていく友人を見送りました。
さて。
わたしはここ数年、「再会」に疲れているところがありました。あとでなにかを頼まれてグッタリしょんぼりする、などのことで。いまでも「つながり」という言葉の光よりも闇のほうに目が行くことのほうが多いし、それに伴って孤独耐性はどんどん強くなるというサイクルが続いていました。
でも。
実際こんなふうになんの残像も求めずに帰っていく人と再会できたりすると、胸の奥から温まる気もします。この「こころの感触」は、できるだけ精確に記憶に刻んでいきたい。これまでずっとこういう種類の感情を書きたくて、うずうずしていました。でもそれを書こうとすると、そこへたどり着くまでの文章がなにかの不満を訴えているようで、まるで自分が「無条件に愛してほしい」と訴える子どものようにも見えて、これまでたくさんのテキストがゴミ箱に消えていました。でも今回は彼女の登場でいっきに書けた。
いつものように廃棄される予定だったのに、思いがけず蓋を開けてもらった熟成ワインの気持ちって、きっとこんな感じだわ。
飲んでもらえると、やっぱりうれしいわ。熟成してみるもんだわ。
・・・
と。
ここで終われば、きれいなまとまり。なんですけどね。
一週間以上経ってから「再会を果たしたら、また会いたくなった!」という日本語の崩壊したメールが(笑)。あけたりひらいたりしたい、みたいな。この間、会ったばかりじゃないか…。
そのときわたしは、「なんかそっち側、楽しそうだなオイ」と思いました。
タイガーマスクの正体が同級生だった! という衝撃の2%くらいのインパクトはあるみたいなんですね、どうやら。
これは絶対、彼女のほうが楽しい展開なんです。なんかくやしい。