年末年始にマレー半島を旅してきました。今回の旅は帰ってきてからいろいろと思うところが多く、「マジョリティ感がない」「まとまりすぎない」「なんとなく」「ゆるく」「共生」「混沌」といったワードが何度も頭をよぎる旅でした。
ふだん国内のニュースを見ていると、ここ数年で急激に狭量になったものだと感じることがあるのですが、マレーにいる間は「日本とまるで逆の国もあるんだなぁ」と感じていました。
今日は今後のトピックからあふれそうな写真を使って雑感を書きます。
クリスマスの時期だったけど、そんなにやる気がない。
マレー半島ではモスク、中国寺院、ヒンドゥー寺院、教会を多く目にしました。このなかでクリスマスで盛り上がる気分の人、どのくらいいるんだろうか…、という雰囲気のままクリスマスは過ぎました。
路地に入ると廃墟が廃墟すぎて、アートの域なのもおもしろい。
クラッシュの「ロンドン・コーリング」のジャケットの中にいるかのような気分に。
かと思えば
わたしはこの国の絵がずいぶん気に入りました。
さまざまな広告のシンプルな訴求力については後日書いていきますが、たとえば壁の絵を見ても
都心部ではこんなにオシャレ。
でも地方へ行くと、鳥が屋根に集まる建物に(屋根にも注目)
「汚れ」をも痛快にのみ込む包容力。これにはたいへん感動しました。
町なかでちょいちょい
絵と物体のお遊びを見かけます。この感じが、すごく楽しい。こういうのがいっぱいある。
この傘は、強化なの? デザインなの? ギャグなの?
チンプイなのかテレタビーズなのか。もはやどちらでもよくなりました。
到着した日に
大きなバスステーションのコンビニで「活力」が売られているのを発見しました。
助詞なんて、適当でいい。じゅうぶんすぎるくらい伝わってくる。
マレーは多様すぎてマジョリティ感が薄く、自分の居場所を探すような感情が沸いてこない。
「競う」とか「生き残る」みたいな感情が表面に出てこない、このユルい国で目にするさまざまなものが、いちいち励みになりました。自分が求めていた安らぎの種類を、はじめて明確に実感した気がします。これからしばらく、マレーで感じたことを綴っていきます。