うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

自分でつくるセーフティネット 生存戦略としてのIT入門 佐々木俊尚 著


とても大乗的なIT論だなぁと思って読んでいたら、最後に親鸞が出てきた(笑)。
まえにわたしが関西の夏目漱石読書会で「一生の友達なんて、いませんからね」と言ったら、それがツボに入りすぎてしまった人が何人かいらっしゃったのですが、この本に書かれている考え方もよく似てる。
親鸞悪人正機もすごく短い文字数で上手に説明されていましたが、まず前半のここがシビれる。

走れメロス」みたいな友情なんて、そうそう現実世界には存在するものじゃありません。そういう友情が成り立つのは、まだ社会の荒波を経ていなくてみんなが平等な、せいぜい高校生活ぐらいまでじゃないでしょうか。
(「友だちが少ない人はどうすればいい?」より)

本当につらいことって、そんなに何人にも話せるものじゃないから、二人いればいいんですよね。これはわたしの過去の経験から、二人か三人いればいいと思いました。あとは、気晴らししたい理由なんて話さなくても、なにかのコンテンツに共感できる人がいてくれたら少しずつ助かる。助かりかたにも重さや濃度があるんですよね。



以下の指摘には200%、共感。

自分がいつまでもピュアであろうとしていると、自分の汚さを引き受けられない。だから「自分は善人だ」「自分は被害者なんだ」「自分は弱者なんだ」「自分は騙された側なんだ」っていうように、ピュアな立ち位置を守ろうとしちゃうんですよね。そういう防衛本能がはたらいちゃう。
(「ピュアな人ほど、人のあら探しをする」より)

自分が汚れてると認めなければ、浄化しようと思い続けられない。努力が続かない。ヨガが長続きする秘訣につながっているかも。



このほか、この本にあった「顧客データの使い方で、買わない人のデータを足切りに使う」「見えてしまうからこそ黙殺される社会」というのは、そうなっていくのが自然だと思う。
裁判員裁判の厳罰化」の話も興味深かった。「12人の優しい日本人」はわたしも大好きな映画なのだけど、実際裁判員裁判を見ると(傍聴側で見た)、いまはあんな映画のようなことはなかろうと思う。
根底に流れるこれからの人間関係のありかたに対する指摘は、「善悪二元論を超えろ」「主体的に考えて生きろ(戦略としてネットを使いなさい)」ということ。インターネットがめんどくさいと思っている人は、読むといい意味であきらめがつきますよ。


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