うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

夢日記。プロデューサーと編集者とわたし

インドネシアに居る間にたくさんの夢(なんと2日に1本ペース)を見て、6本ほどノートに記録していたのだけど、それをテキスト化できずにいます。テキスト化しようとすると、わたしのなかの「編集者」の細工が入るんです。

そもそもなんでこんなに夢を見られたかというと、自分でもわかるような理由がありました。どの夢も最後のほうに「まー、いまここでこんなに面倒なことに巻き込まれていても、わたしはインドネシアにいるんだよなぁ……(目覚め)」という感じで、日常から離れていることで、驚くほど本音まるだしの夢を見ました。
分析する時点で作為的になるし、それをテキスト化しようとすると自分を飾るバイアスがかかる。
でも日常を離れると自分の中にいるプロデューサーが「ユー吐き出しちゃいなよ」とばかりに夢のシナリオをアシストしてくる。とてもおもしろい現象! わたしのなかに転変しそうでせずに収まっている怒りの種や、反省してもしきれていない後悔の種はざっとこんなものであったようです(4月末時点。種は日々枯れたり発芽したり寝たりします。以下、見た順)。


  • 知人が設定する待ち合わせ場所が、いちいち相手の拠点に近い。相手の話を聞きながら「とはいえ、帰る先がジャカルタなので最後は無理って断ることになる」と認識している。
  • 女組織が苦手そう。
  • 男組織への忠誠心を求められてしんどそう。
  • 近所に住む友人からの急な誘いがうれしそう。
  • 男女が共依存的な合意のもとで行なわれている暴力を咎めて痛い目にあって、反省している。
  • タレントみたいな活動を好むヨガ知人がわたしのヨガクラスに来て、「来ちゃいましたぁ〜☆」と言われてゲンナリしている。


自分に自分がカウンセリングされたような気分。
いちばんの収穫は痛い目にあっている「反省ネタ」で、「そうだ、わたしはこういうことをしてしまいがちなのだ」とつくづく思います。
明らかに対象が犯罪的なことであってもそこへ正義をふりかざすのは暴力の一種だってわかっているのに、「ケシカラニズム」が発動してしまう。
どの夢にもどこか「おかしなこと」が入っていて、「池袋で待ち合わせって、めんどくさいなぁ」と思っていると、相手が「川越にしよっか」と言ってきたりする。で、「ドッカーン。さらに遠くを提案された!」とか心の中でツッコんでいます。相手は車を運転しながら電話をしてきていて、わたしは車を持っていません(現実でもそう)。そういう状況がわたしに教えてくれることが、おもしろい。

タレントみたいな活動を好む知人が登場した件は、要素としてはヨガだけでなく、前に読者モデル世界の人とウェブの仕事の飲み会で同席することがあり、ここ2年ほどでキラキラ演出の人に会う機会が集中したせいではないかと思っています。



夢というのは自分の価値観や線引きが少しずつ変わっていることを教えてくれる、そういうものかもしれません。
自身の優先順位の変化って、時間をかけないと気づけなもの。外部の変化に対応できているか、ということほどには注意を向けていないから。
帰国したら、またほとんど夢を見ない生活になりました。