わたしは、あるものを見て「そう思うと妄想が膨らみまくってしまう」「行動に移したくなってしまう」という困った衝動というか、性癖がございます。
「あるもの」は日常のなかにあふれていて、自宅にもヨガ練習場にもあるのですが、もうモーレツにピンポイントなので、見るたびに一瞬でその思いに負けないよう、コントロールしています。
これは、自宅のトイレの鍵。座っていると、ちょうど目に入る高さ。
これは、ヨガ練習場の鍵。マッツェンドラで振り向くと、すこし上にいる。
この金具がとにかくダメなんですね。
目が合うと
となってしまうんです。
かわいいコックさん。
いま画像に描いてみたら、いくぶん気持ちが落ち着きました。
でも、ものすごく大胆にマジックで描き上げたい思いは、何年たってもゼロにはなりません。
こう、わりと「ダメな顔の配置」に弱いんです。
インドへ行ったときも・・・
この車の困りっぷりにはこっちも困ってしまい、ずいぶんと長くお話していたように思います。自分も一緒に眉毛が下がってしまう。
顔の配置が何もかも気になるわけではないのですが、完全に自分の中でなにかと重なってしまったり、ドンピシャな心のつぶやきが聞こえてきたりしてしまうと、もうそこから「ともだち」のような気持ちになってしまう。
これは、ものすごく小さい頃からの癖で、小さい頃は「怖い顔の車」が本当にダメでした。
そんな記憶からか、「きかんしゃトーマス」は話の内容にめちゃくちゃ人間ぽい恨みや嫉妬の感情が描かれることがあって、「ああいやだ」と思うことがあります。アンパンマンは、そもそもパンに見えてないので平気です。シーマンも人面犬も、「性格含めてそういう演出」なので平気です。