うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

マハリシ・マヘーシュ・アシュラム(跡地)へ

このブログでも何度か書いている、ビートルズの師であったマハリシ・マヘーシュ・ヨーギー(Maharishi Mahesh Yogi)のアシュラム跡地へ行ってきました。いちおうこの日記を読むと、ビートルズとヨガの話が少しはわかるよ、というリンクを文中につけておきますね。
「門番が居ることがあって、その人に何ルピーか払うと中に入れるらしい」ということは事前に知っていて、今回の旅行では到着が土曜なので、1週間の滞在で門番に会えなかったら外観だけでも見てこよう、と思っていました。でもいちおう打率の高そうな日曜をまずは狙う。
到着翌々日のレッスンの後、前夜に知り合いになった日本人のトモちゃんとTIPTOP(レストラン)で会えたので、「この後、こういうところに行こうと思うの」と話したら「私も暇だから、一緒に行くー」というので、仲良くプチ遠足。トモちゃんはうちこよりも10歳も若くて、ビートルズとヨガの関係については全く知らず。そらそうだ。というわけで、道々概要を説明しながらのお散歩になりました。



ゴミが散乱する、Maharishi Mahesh Ashramへの道。



いかにもロック・ファン向けの道案内(笑)。



トモちゃん(大)、うちこ(小)。たまたま同じような格好で、姉妹みたいでした。



はじめ行き過ぎて、なんだか別の建物に向かってしまいました。これは、行きすぎ。マハリシのアシュラムはここの数十メートル手前。サルが集まっている広場の奥です。ここじゃないのかもね……と引き返すときに、ひとりのババ(「ババ」は、おじさんとか、お父さんとか、そんなニュアンスで使う)に話しかけられました。ビートルズ・アシュラムへ行くのかい?」と。



このババは、通称チャックことチャックラワルティさん。この旅の日記で今後も何度か登場します。リシュケシュにはこういう人が沢山いるのだけれど、チャックはビートル・マニアなのか、ここらへんの案内で観光客からお金が取れるのでこのアシュラムについて勉強したのかわからない。とにかくここで出会った案内人。1年前に脱サラしてカルカッタから来て、ここで暮らし始めて1年になるおじさん。文化的な話も哲学的な話もけっこうイケる58歳です(笑)。(基礎情報)
門番はやっぱり居ました。ひとり50ルピーだといわれる。チャックは無料。やっぱりこれ、そういうシステムなのよね? 言い値を支払いました。ひとり109円。



前を歩く二人。



敷地はとにかく広いです。84のcell(瞑想&宿泊の個室)があります。どのアコモデーションカップルでの入居は不可で、ここへ来た人は1日6時間のカリキュラムをこなしていたそうです。この敷地自体が「村」のようなもので、60年代後期に世界中からセレブたちがやってきた。というのが、マハリシ・マヘーシュ・アシュラムの、めちゃくちゃかいつまんだ概要(by チャック)です。




ベーシックなcellの外観。



1階が瞑想ルームで、地下がアコモデーション、というのが基本軽。これは、1階と地下が階段で繋がっているタイプの物件。



廃墟なんで、はい。




このような形のタイプは、瞑想室にはしごで入り、下と階段で繋がっていません。



中にペイントがあるcellも。




記念撮影したりぃ〜、



メアド交換したりぃ〜。



チャックの案内は続きます。基本的に、チャックと私が英語で話し、トモちゃんに翻訳。という流れ。うちこもたいして話せるわけではないのですが、チャックの「僕の故郷カルカッタは…」という話の流れから、「CITY OF JOY」という言葉が出てきたので、「ドミニク・ラピエールの本なら、うちこも読んだよ」と言ったら、そこから急に盛り上がり、読書仲間的に仲良くなりました。



これは、リンガ。シヴァリンガともいう(神様シヴァの男性器を象徴したもののことよん)。形への感想とかはコメントしませんよん。


さてここから、メインホールの写真です。1967年〜68年にビートルズマイク・ラブビーチボーイズの)も集ったであろうホール。ここは1階で、地下のアコモデーションコブラがいっぱいで危ないから行けないって。



でもうちこが最も楽しくて感動しちゃったのは、ここ。

たしかこの建物の、入口から見て一番左奥の2階か3階だったと思う。



そうでなければ、この2棟横並びの左側のほう。





ビートルズの曲の世界のペイント。



これはなんでしょう。拡大しますよ。



るしーっんざすかぁーいうぃずだぁいあまん♪
ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ
Lucy in the Sky with Diamonds!
マハリシの言い分としては、「4人組のドラッグ癖に嫌気がさした」って。
これの曲が収録された「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(1967年) 」のジャケットには4人のヨガ聖者がおり、その翌年に発売された、通称「ホワイト・アルバム(1968年)」に収録された「Sexy Sadie」はジョンがマハリシを皮肉った歌らしい。というところまではビートルズとヨガの豆知識。

▼以下、コメントをいただいた「coredeiinoda」さんによる情報より、追記
THE BEATLESの名曲“Lucy In The Sky With Diamonds”のモデルとなった女性が死去bounce.comの2009/09/30のニュース記事 より)

 ビートルズの名曲“Lucy In The Sky With Diamonds”の誕生のきっかけとなった女性、ルーシー・ヴォデンが今月22日、自己免疫疾患の全身性エリテマトーデスのためロンドン郊外の病院で死去した。享年46歳。彼女をサポートしていた慈善団体が28日にあきらかにした。 
 ルーシーは、ジョン・レノンの息子であるジュリアンの幼少期の友人。1966年に当時4歳だったジュリアンが彼女を描いた絵を幼稚園から持ち帰り、「ルーシーがダイヤモンドを持って空にいるんだ」とジョンに説明。そのことがインスピレーションとなり、“Lucy In The Sky With Diamonds”が生まれたという。 
 同曲は、1967年のアルバム『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』に収録されたが、そのサイケデリックな内容と、曲名の頭文字を繋げると幻覚剤〈LSD〉となることから、LSD讃歌だとして当時大きな物議を醸した。しかし、ジョンは単なる偶然だとこれを否定している。 
 ジュリアンは、両親の離婚をきっかけに1968年に引っ越したため、ルーシーとの交流は途絶えていた。だが、今春になって彼女が病気を患っていることを知り、手紙やプレゼントを贈るなどして励ましていたという。


話を戻します。
ホワイトアルバムに収録された、うちこの大好きな曲


BLACK BIRD」もしっかりあったー。きゃわいい!(メロディはポールのほうが好きな曲が多いのです)

このイラストはドイツ人のアーティスト描いたらしいです。
うちこがルンルンと歌いながら「あの曲だー」「この曲だー」と興奮していたら、チャックは「そうそう。それそれ」と。もしかして、歌いながら説明したかったかな(笑)。


とまぁこんな探訪で、一緒に来たトモちゃんには日本語で「チャックはいくら請求してくるかな。とりあえず門番のおじさんと同じ額で話してみるね」なんていちおう予告はしておいて、チャックとの別れ際に
  「楽しい案内をありがとう。ハッピーな経験ができた!」
  「それは良かった。ところで、僕のハッピーは?」
という、よくある旅のパターンで(参考:パリ編。こっちはジム・モリソン探訪)、二人分で100ルピー渡したのでした。
ちなみにチャックラワルティさんは、その後も何度かうちこの日記に登場しますが、お金を請求されたのはこのときだけです。

▼関連日記
「ビートルズ v.s. マハリシ、仲違いの真実」という記事
ビートルズ「ホワイト・アルバム」とヨガ
広告本でした「TM瞑想法がよくわかる本」