うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ただの私(あたし) オノ・ヨーコ 著 / 飯村隆彦 編

この本にはインタビューを中心に、本人の短編小説、コラムなどで構成されています。インタビューは、「フェミニズム」と感じる人もいれば、「オノ・ヨーコ哲学」と感じる人もいるでしょう。
「日本男性沈没」という小説は、男性と女性を入れ替えて「男はこうしなさい。そうゆうものです」という教育を女性に向けて書いたシンプルな発想なのですが、面白い。
インタビューも期待を裏切らない直球の語調。いくつか、紹介します。
(ジョン&ヨーコの出会いは1966年、結婚は1969年。ジョンの死は1980年。ということを先に付記しておきます)

<152ページ 「家も政治も女と交代したら」 無邪気でバカな女がいい より>
(1972年のインタビューへの返答)
だから色々してもらいたいけど、あまり生意気になったらやっつけるぞ、男は、みんなそうでしょ。女にただ無邪気で、バカで、おとなしくいるんだよって言ってるだけじゃないのよ。
やはり僕を内助の功で補助してくれる力がなくちゃ困る。だけども、僕の話をわかる程度のインテリでいてほしいけども僕に対するほどインテリでは困るというの。ただああそうですか、はいはいわかりました、ご立派なことをおっしゃいますと、男を賞賛できる程度、男を理解できる女で、だけど男を批判するほど頭が良くなっちゃ困る。でしゃばらない程度に頭を良くしとけというわけね。勝手なことじゃない?

男性の上司、女性の部下という構図でも、こうゆうのないですか? 気のせいか?(笑)



<185ページ 「未来……は未知数」 ロッカーの持つ悪趣味な美しさ より>
1984年のインタビューへの返答)
私たちはみんなつながっているから、大きな一個の自己なわけでしょ。だからそういう意味で、ラブというのは、私たちは、最大指数だと思っています。

ラブという単語の使い方が、ヨガ的。



<190ページ 「未来……は未知数」 未来は未知数 より>
1984年のインタビューへの返答)
私は、非常に強い女だということで反感を買ったり、圧迫を受けていますが、こういう立場にいても、非常に圧迫はあるし、圧迫はもっとひどくなるし、だから女で、男性社会に生きるということは、非常にむずかしいのではないかと思います。

そんな、世界的に極端なところから平地の男性社会にいる女子の現状を推測していただいて……ありがたくすら思います。



<209ページ 「先ず母親、次にアーティスト」 ジョンは何が起こるか知っていた より>
(1985年のインタビューへの返答)
世の中が、私たちの本当の精神を受け入れることができないとき、何かわかち合うのは、結果的には危険だと思いました。

「わかち合うには危険なタイミング」を、年とともに考える機会が増えている気がするこのごろなので、印象に残りました。



このかたの言葉を読んでいると、強いとか弱いとかではなく、直球かカーブかシュートかみたいなところで直球なんだよなぁと思います。ドキッとしないところになんとなくゆるりと落ちてくる球を男性は期待しているところに、直球なだけでなく、球威もある。なのにフォームが不思議でタイミングはあわせにくい。ピッチャーにたとえると、そんな印象を受けました。