先日、遠方にお住まいのかたが上京のおりに東京のヨガクラスに参加されたあと、ちょこっと最近のブログへの感想を聞かせてくれました。
石原慎太郎氏の本の感想を読まれたそうで、ホワイトセージのくだりを拾ってくださっていました。
発言にかなり気をつけなければいけない世の中になってから、わたしの本音の織り交ぜかたも複雑化しております。
なので、拾ってもらえてうれしくなりました。
ブログを書いて公開する作業は孤独です。ああいう渾身のヨガ的婉曲表現がウケてるのかスベってるのかスルーされてるのか、わからないまま、たった一人でボケ続ける。そういう作業をやっています。
どこかでニヤついてくれているであろう、たった一人の誰かがそこにいることを信じてやっています。
だからなのかどうなのか、このブログを読んでわたしを見つけてくださるかたとは、おかしな点でつながっている。そんな気がしています。
こういう感じを、わたしはずっと大切にしています。
”笑い” は、インド哲学を学ぶことと似ています。その瞬間は、二元論を超える瞬間だから。
二元論を超える共感の瞬間を大切にしています。
スマホ普及期までの10年前とは違い、ブログって、書いている人がどんどん減っている媒体です。スマホ×SNSの時代になっちゃったのでね。
にも関わらず、読み続けたり見つけてくださる人が居てくださることに、ミラクルを感じています。今日も読んでくださり、どうもありがとうございます。