うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

スティーブ・ジョブズ ウォルター・アイザックソン著/井口耕二(訳)

マンガと映画を観てもっと知りたくなり、公式の伝記を読みました。

機能やシェアの奪い合いの歴史は、そういえば昔はこうだったなと、懐かしく思い出しながら読みました。

現在わたしは、PC Windowsノートと MacBook Airスマホ Androidを使っています。最初に買ったスマホ iPhone4で、2台目から Andoroidにしました

 

少し昔話をしますが、最初に買ったパソコンは  Power Machintoshで、拡張メモリを買って自分ではめました。手取りが15万くらいの頃に、28万円の買い物をしました。ネットに接続しないパソコンをこの値段で買っていました。

当時わたしはデジタル版下を作成する仕事をしていました。その後ウェブの時代になってからウィンドウズを使うようになりました。iPadは持ったことがないけれど、iPodiPod nano は持ったことがあります。

 

 

   *   *   *

 

 

スティーブ・ジョブズの人生はそのままシリコン・バレーの歴史。

その萌芽の時期は “ちょうどギークの世界とヒッピーの世界が重なろうとしていた時代*1” なのだから面白くないわけがありません。

スティーブ・ジョブズはミニマルな「禅」を感じさせるデザインを追求したけれど、精神は全く禅的でなく周囲にキレ散らかし、むしろ周囲の人を菩薩にさせています。

なかでも何度も喧嘩をしながらコンピュータを普及させていったライバル、ビル・ゲイツのユーモア・センスが強く印象に残ります。

 

長~い物語の中で、わたしが一番好きな場面はここです。(序盤はまるでヤクザ映画)

 ゲイツが招き入れられた会議室には、親分の勇姿を見ようとアップルの社員が10人ほど集まっていた。ハーツフェルドもそもひとりだった。

「スティーブがビルに怒鳴るのを私はじっと見ていました」

 ジョブズは子分の期待にそむかない。

「おまえがしているのは盗みだ! 信頼したというのに、それをいいことにちょろまかすのか!」

 ゲイツはじっと座り、スティーブの目を冷静に見かえしていた。そして、ちょっと甲高い声で伝説となる一言を投げ返す。

「なんと言うか、スティーブ、この件にはいろいろな見方があると思います。我々の近所にゼロックスというお金持ちが住んでいて、そこのテレビを盗もうと私が忍び込んだらあなたが盗んだあとだった──むしろそういう話なのではないでしょうか」

<第16章 GUIをめぐる戦い より>

 

このスティーブ・ジョブズの公式伝記は、社内で作った社長礼賛本みたいにしたくないという本人の意向で作られたものだそうですが、読めば読むほど周囲でジョブズの仕打ちに耐えた人々の株が上がる。スティーブ・ジョブズは懺悔をしたかったのでしょうか。

 

 

ビル・ゲイツがその後アップルの iTunes 発表時に寄せた向けたコメントは、客観的事実の要約力がすばらしいです。

「大きな意味を持つ少数のものに集中する力、優れたユーザーインターフェースを作る人材を確保する力、製品を革新的にしてマーケティングする力という意味で、スティーブ・ジョブズはとにかくすごい」

<第30章 マイクロソフトの歯ぎしり より>

 

本当のことしか言っていない、このコメント力!

 

 

現実歪曲フィールド

目的のためならどんな事実もねじ曲げる「現実歪曲フィールド」は、マックチームのソフトウェア・デザイナーであるバド・トリブルという人が命名したそうです。

2015年の映画の中でも語られていた「よく立ち向かったで賞」のほか、「ローパスフィルター」というの概念の共有など、外から見ているぶんにはユニークに見えます。

自身がかつて罵倒中毒患者であった経験から、やられる以上にやり返す方法をとった人もいました(フランスのジャン=ルイ・ガゼーという人です)。

iPhone のガラスを作った会社の人々がゴリラガラスよりも強いものを要求されて「ゴジラガラス」というコードネームで開発していたり、強い要求にはどこか心のネジを外さないと対応できない。

 

教祖が信者を引っ張るのか、信者が教祖を支えるのか。

革命を起こす企業は、やっぱりどこか教団的です。

初代 iPhone の開発をやり直す第35章のエピソードで涙してしまう人には、この意味がわかるだろうと思います。

「薄くあれ」とバイブルに書いてあるとばかりに、それを説き伏せる力。カリスマ性って、狂信の力なんだなと思いながら読みました。

 

 

不愉快に対する過敏さ

2015年に公開された映画もそうでしたが、この伝記を読んでいると、スティーブ・ジョブズの強烈な性格について、その生い立ちにルーツを求めようと誘導され過ぎているように感じます。

わたしはレグ・グロスマンという記者が iPhone 発表時にその機能について述べた以下が、最も本人の根っこに近いように思いました。

グロスマンの記事は、「とくに新しい機能が搭載されているわけではなく、ただ、一つひとつの機能をとても使いやすくしたのだ」と正しく紹介していた。

「しかし、それが重要なのだ。ツールが思ったように動かないと、自分の頭が悪いのではないか、マニュアルを読んでいない、あるいは指が太すぎるのではないかと、我々は自分を責めることが多い……ツールが壊れていると自分が壊れているように感じる。誰かがツールを直してくれると、我々も少しだけ完全になった気がする」

<第35章 発表(2007110日)より>

全能感を得る瞬間の魅力を最重要と考える人なんじゃないか。

 

スティーブ・ジョブズのこだわり方は、日本だと「職人気質」で理解されそうです。

もしもアジアやヨーロッパの国に生まれていたら、そんなに生い立ちの影響を掘られることもないんじゃないか。息子が生まれてから変わる様子を読みながら、キリスト教的な世界観の人が読み解く人物像、という印象を持ちました。

 

何度か、小津安二郎監督の元で美術監督をした人物の話を思い出しました。

▼この本で読んだ小津監督と似ていると感じました。

 

 

密教的にやろうとする。コントロール・フリーク

わたしはアップルという会社について、あれだけの組織で先鋭的なものを発表していくのにどうやっていたのだろうと思うことがたくさんあったのですが、以下の部分を読んで種明かしを見た気持ちになりました。

 

アップルを追い出されてピクサーを創設して戻ったときに、こんなことを考えていたそうです。

 ピクサーは、会社全体がAクラスばかりだった。アップルに戻ったとき、アップルもそうしたいて思ったんだ。そのためには採用も協力しておこなう必要がある。たとえばマーケティングの人材を採用する場合でも、デザインの連中やエンジニアとも話をさせる。ここで僕が目標にしているのは、Jロバート・オッペンハイマーだ。原子爆弾プロジェクトにどういう人材を集めたのかを本で読んでね。彼の足元にもおよばなかったけど、でも、ああいうふうにしたいと思ったんだ。

(第27章 ハイネックとチームワーク より)

「俺が法律だ!」という熱量の人がある種コントロール・フリーク的にやらないとできないことって、あるもんね。

 

38章で「1980年代にマイクロソフトがやったことと、2010年以来グーグルがやろうとしていることはまったく同じではないが、疑いの念を抱き、また、怒りが込み上げるくらいにはよく似ている。」と書かれています。

OSやソフトウェア、クラウドでの共有がオープン化していくことと、プロダクトを産む側がオープン化させたくないこだわりと、何も考えずにできるだけ簡単に脳を満足させたいユーザー。

そのサイクルが3周分くらい、しっかり描かれていました。

 

 

  *   *   *

 

 

わたしが将来人生を振り返る時に、社会の変化を語る大きな要素として「デジタル」があるのは確実です。社会人生活の前半を思い出すことが何度もありました。

この伝記は60年代・70年代の音楽が好きな人が読んでもハマれる内容で、70年代に西洋の人々が傾倒した東洋文化に興味がある人にも、気になるがたくことがたくさん書かれていました。

 

 

 

映画を先に観ました

*1:第1章にそう書かれていました