うちこのヨガ日記

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「不機嫌」と「甘え」の心理 なぜ人は素直になれないのか 加藤諦三 著


はしがきに「この本では、好きな人に敵意を持つというような両立しない感情を考えてみた。」とあります。
この本は基本的には親の育て方にブーメランする内容が多いのだけど、終盤のこの結論付けは、わたしも同じように思います。

<193ページ 寂しさは隠さないほうがよい より>
 神経症的な人は、愛されなかった過去をしっかりと自分の中に受け入れる以外にどのような解決の道もない。人に絡みつき、詰り、不機嫌になり、被害者意識に陥り、惨めさを誇示し、注目を集めても道は開けない。自分の中にある愛情飢餓感をしっかりと認め、誰をも責めることなく、自分の宿命として受け入れることである。そして自分のできることをこつこつと成し遂げていく以外に、道は開けない。

わたしが夏目漱石に惹かれるのは、これを成し遂げた人だからだと思う。ふてくされるバージョンの人生までも、小説の中でやってみせた。と思うといろいろ沁みる。



以下もうなずいたけど、今の時代は「うなずいたわたしのほうが神経症」という扱いを受けることのほうが多い気がする。

<200ページ 「親しさ」を知ると無価値感は消えてゆく より>
 神経症的な人は、一緒に山に登ればそれで「親友」になってしまう。心の在り方ではなく、同じクラスであるとか、家族とか、そうした外側の形が重要視される。神経症的な人には、好きになる、親しくなるということは、じっくりと時間をかけて達成するものだということが理解できない。

「知り合いを友達といえる人のほうが寛容」みたいないまの風潮、早く終わらないかな。
同じ主旨のことで、以下の喩えはうまいなぁと思った。


<120ページ 「人が人を好きになる」ということが理解できていない不幸 より>
 深い海を考えてみよう。風が吹けば、海面は揺れる。波が立つ。時には大波が立つ。しかし海の底は静かである。嵐が来て、大波が立つのは海面である。これが好きな人同士の大喧嘩である。どんなに意見が違って大喧嘩をしても、基本のところでは信頼しあっている。
 それに対して道路にできた水たまりを考えてみよう。風が吹いてきて揺れたら、それは揺れた部分がすべてである。その時の相手を非難する態度が、その人のすべてである。
 相手に「いつもニコニコしていてほしい」という要求を持って、相手の言動におびえている人は、おおかた水たまりなのである。

そーっと波が立たないように、外側を通るべし、ということなのかな。水たまりも、毎日降れば海! みたいな魔法がないという現実。これは「フレンチアルプスで起きたこと」という映画で投げかけられる題材と少し重なって見えた。


<99ページ 人は天国を求めながら地獄にしがみつく より>
 悩んでいる人に対して、表面上は温かいことを言う偽善者が世の中にはたくさんいる。偽善者と言っては言い過ぎかもしれない。「わかっていない人」と言ったほうがいいかもしれない。何をわかっていないかと言うと、この悩んでいる人の「地獄や不幸にしがみつくエネルギーのすさまじさ」である。

悩み相談に応じていくうちに潰れていきそうなインストラクターさんは、「あなたは、なぜ、つながれないのか」という本を読むとよいですよ。


<100ページ しつこく妻を責める夫は家庭内暴力の変形とも言える より>
 たとえばスキーの好きな人がいる。心理的に健康な人なら、その不満はスキーに行けなかったという不満である。スキーができないという不満である。しかし神経症的な人の不満は、自分がスキーに行けるように皆がしてくれないという不満である。

「まる雪がなくてもスキーができるとでも思っていそうな感じ」の人って、マリー・アントワネットみたいで、「What?」ってなる。まず「雪と山ありき」なのに、まず「誘ってくれる人ありき」という思考。


<129ページ 「相談」という形で「甘え」に来る人 より>
「あなたでなければだめだ」という言い方は、一見相手を尊敬しているように思えるが、まったく違う。そう言うことで相手を束縛しようとしているのである。そのように言うことで、相手に対して自分を特別の立場に置こうとしている。そのように言うことで、相手からの特別な配慮を要求しているのである。

詐欺の常套フレーズも、そうですよね。


わたしは「不機嫌」「甘え」というのはあくまで瞬間の傾向としてとらえるようにしており、決めつけてしまうことは「人は変化しないもの」という考えに結びつくので避けるようにしていますが、人間同士の関係において「依存は孤独の種まき」という法則のようなものがあるのは、よくわかります。
未来の孤独のためにわざわざ今を食い散らかすようなことを若いうちからやってしまうのは得策ではないし、人口が減っていく世の中でそれを続けてしまうと、健康な人たちと縁遠くなる。数の原理として、そうじゃないかなと思います。
この本は、「そうそう、あのかまってちゃんの思考、これだわ」といって溜飲を下げるだけで終わってしまっても一義的だし、反省のために読むつもりが「親のせいにする思考を強めるだけ」で終わってしまっても一義的。この本は、そういう思考に陥りたい人に好まれそうな、デトックス効果のありそうな調子で書いてありながら、最後に「道は自分で開きましょう」となる。
全体のトーンは「甘え続ける人は、甘え続けるだけ」と突き放すような印象。何年も人生相談を受けていると、こうなるのかな。


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