うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

フロイト ― イラスト版 リチャード・アッピグナネッセイ著  オスカー・サーラティ(イラスト) 加瀬亮志(翻訳)

映画「危険なメソッド」を観る前に読んだ「秘密のシンメトリー」という本にあった手紙から、その誠実な人柄に興味が沸いてフロイトについての本を読みました。
この本は古本屋で見つけて、数ページめくっただけでなんだか笑えて即買い。原作もイラストも外国の作家によるもので、日本人向けのわかりやすさのようなものが全くなくて、そこがすごくいい。イラストもすごく意地悪な感じで、偉人だからって苦労話を美談にすることもないし、全体的に邪悪な雰囲気が精神医学の解説にマッチしている。心の奥底の話は、美化されちゃったら全く伝わってこないもんね!

 

と、全体的なトーンはわりとシニカルでありながら、解説はとてもしっかりしており、この本一冊を通して読むと、映画の中でザビーナが「自分の場合はフロイトの理論が適応した」と言っている意味がよく分かります。
フロイトは7歳か8歳の時に両親の寝室でおしっこをしてしまったことの恥ずかしい記憶を夢判断の中で見つけていて、夜尿症の精神への影響の大きさに注目しています。これを、

子供時代に受けた将来の希望に対するはずかしめ

と解釈しています。これは、映画の中でザビーナが子供の頃におしっこをしてしまったことを思い出して言うセリフ「望みはない 私は不道徳で 汚らわしくて堕落している」とリンクします。

ザビーナはフロイトタナトスという概念にインスピレーションを与えたと言われていますが、他の部分を読んでも、この二人はもともとモノゴトの解釈の方法に似たところがあるように見えました。フロイトが1930年に書いた「文化とその不満」にある、人間は快楽よりも苦痛を避けることを優先するだろうという考えかたに共通点を感じます。二人とも恥ずかしいという感情による抑制力を甘く見ていない。


フロイトを誤解しないために、以下の要約を読めたのも大収穫。

フロイトは、応々にしてとりちがえられるのだが、病んだ心だけに関心を持ったのではない。フロイトが示したのは、心についての一般的な理論だった。
神経症は病気による異常というより、むしろ一種の精神の機能と考えるべきものだ。しかし神経症は、通常は閉ざされて調べることのできないかくされた心の奥を見せてくれる。
(67ページ)

ここはしっかり、映画でも重要なシーンに織り込まれていました。いよいよ決別しそうな争いの手紙のやり取りで。人を神経症扱いするなと言ってきたユングへの手紙の返事で、フロイト神経症自体は問題じゃないと言っています。

 

日本語のニュアンスで精神力を鍛えるというと、強さをイメージさせられるけれど、フロイトは精神活動を以下のようにとらえていたことが確認できたのもよかった。

精神活動の目的は、からだの中におこった緊張(本能による興奮や、外界の刺激による興奮によって生じる)を減らすことにある。
(152ページ)

ヨーガの心理学もフロイト精神分析も「神経」について語るけれど、なぜ日本語で精神というときはマッチョな感じになるのだろう。精神修養って、絶対にマッチョなものであるはずがないのに。

この本を読むと、フロイトのチャーミングな一面にキューンとなります。

彼の息ぬきは少なかった:土曜の夜のトランプ、郊外の散歩、きのこ狩り、そして骨董の蒐集。
(46ページ)

骨董の蒐集は、映画でも存分に伝わってきました。きのこ狩りのシーンはありませんでした。


映画をきっかけに知りたくなったフロイトですが、多くの精神分析学がフロイトを幹として枝分かれしているので、これを機に知ることができてよかった。
ヒトラーの存在が序盤からコミカルなイラストで場面に織り込まれていて、最後にドーンと出てきて集団心理とフロイト精神分析学の見立てに重なっていく流れなど、やはりこの時代の精神分析ナチスは切離せないのだなということもよくわかりました。
わたしが古本屋で入手したのは第28刷なので、めちゃくちゃ売れたのかしら。初版は1980年みたい。昔の本って、今読むとすごく攻めてておもしろい。アートブックとしても保存版です。亀仙人ぽいエロジジイ感がなんともジワります…。