うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

コンサルタントの「解答力」 野口吉昭 著

仕事仲間がデスクの整理整頓時に、どさっと「こういうの読みます?」と渡してくれたなかの一冊。
たまにこういう、いかにもビジネスマーンな本を読むと、よい刺激があります。この本は、ヨーガの指導者さんに参考になるところが多いんじゃないかな。「健康コンサルタント」という視点でも同じことが言えるから。
何箇所か、引用紹介します。仏陀の話も出てきますよ。

<47ページ 相手軸に立つと、自然に伝え方も変わってくる より>
 占いの目的というと「未来のことを知るため」と思われるかもしれないが、そこで思考が停止してしまっては、真に相手軸に立っているとはいえない。占いに来る人は未来を知りたいのではなく、未来を垣間見ることで今の自分を動かす勇気や元気を得たいのだ。

ヨーガもちょっと似てる。自分の心身の状態を知りたいだけじゃないんだよね。

<52ページ お釈迦様はいった「人を見て法を説く」より>
 ブッダは生前、自分の考えを文字に書き表すことをしなかった。現在、さまざまな経典が残っているのは、ブッダが書いたわけではなく、彼の死後にその教えを世に伝えるために弟子たちによって編まれたものである。


(中略)


 ブッダは自分の考えを、「真理である」などとは主張しなかった。人々を悟りに近づけるための「方便である」ととらえた。だから自分の教えを書物にまとめようとしなかった。書物にまとめてしまえば、その教えがやがて真理として人々に受け取られてしまうからである。
 こうしたブッダの姿勢や考え方を端的に示しているのが、自分の教えを「イカダ」にたとえていることだ。
「河を渡るときには、木ぎれを集めてイカダをつくることが必要となる。しかし渡りきってしまえば、もはやイカダは無用の長物である。それなのに陸に上がってからも、イカダをありがたがって宝物のように持ち運ぼうとする人がいるのなら、その人は愚か者である。それと同じように、自分の教えも河を渡るためのイカダのようなものだ。渡りきってしまえば必要がないものである」と。
 大切なのは、「真理」や「正解」を述べることではない。相手に応じて話し方を変える対機説法によって、相手の心を動かすことこそ重要だ。なぜなら教えは、人を向こう岸に渡らせるためのイカダにすぎないからだ。
 ブッダは、そう考えたのではないだろうか。まさにブッダは、相手軸に立った究極の解答力を備えた人だったのだ。

ブッダ偶像崇拝、段階権威なんか意図していなかったよ、という話に展開したくなるところですが、本題に合わせてコメントすると、「○○があったからできた」なんて思い出に執着してしまっては、教えにならん、ということなんですね。苦しみの克服の仕方のたまたまの方法論であって、絶対論ではない。

<57ページ 知識でも、認識でもなく「見識」を より>
「見識」とは、ある物事に対してしっかりとした鑑識眼を持ち、ぶれない軸を持って本質を見通すことができる力のことである。「知識」から「認識」、「認識」から「見識」へと、物事をとらえるときの深度が深まっていく。
 おもしろいのは、「知識量」とはいうが「知識力」とはいわないことである。知識は力ではなく、インプットした情報の量ではかれるものだということだ。逆に認識は、「認識力」とはいうが「認識量」とはいわない。認識を高めるためには情報をインプットするだけではダメで、自分なりの物事を見る力が必要になるということだ。
 そして「見識」だが、見識の場合は「見識量」とも「見識力」ともいわない。そのかわり「見識眼」といういい方をする。あるいは「あの人は見識がある」といったいい方をする。一方「あの人は認識がある」といったいい方はしない。
 つまり認識は「力」としてはかれるのに対して、見識は「その人自身」であるということなのだ。確立された評価軸が自分の中にあり、その軸をもって物事の本質を見極める「眼」を持っている人が、「あの人は見識がある」といわれるのだ。

ヨーガでいうと、定量化できないものの代表として「智慧」という単語がよく出てきますが、これはもう人にもつかない。継続と積み上げの掛け算の「瞬間」につく。アドリブが出るか出ないか、に似ている。

<65ページ あなたの答えに「can」「will」は含まれているか? より>
 私もやはり、人を動かすのは熱い感情だと思う。つまり人を説得するには、ロジックで納得させ、パッションで動かす必要がある。人を動かす解答には、パッションが伴っていないといけないのだ。

「ロジックも理論もじゅうぶん」な感じの人でも、グイグイ感がないとダイナミックな動きに至らない。明るさとか派手さとか美しさとかかっこよさではなく。

<94ページ 私たちが書籍の刊行に力を注ぐ理由 より>
 なぜ本を書くかといえば、私たちが蓄積してきたノウハウを公開することで、多くの方々に役立てていただきたいという思いが、まず最初にある。
 だが、それだけでなく、本を出すことがこの「期待値を調整する」というころに非常に役立つということがあるからだ。


(中略)


クライアントとコンサルタントは、発注者と受注者の関係ではなく、同じチームのメンバーとなる。だから先方の期待値を読むだけではなく、こちらの期待値も相手に理解してもらうことがなおさら重要になるわけだ。私たちが書籍の出版に力を注いでいる狙いも、そこにあるのである。

テキスト化されたものを通じて、一対一で向き合う事前コンセンサスは、あらゆる面で有効だと思う。営業ツールにもなるし、ファンサービスにもなるような。



この本の終わりのほうに『本質彫り出し力は読書で磨け』という章があります。「同じテーマの本を一日に三十冊読む読書術」の紹介もあり、おもしろかったです。
なかでも、共感したのが、以下の部分。

<132ページ 「対話型の読書」により、キーワードが目に飛び込んでくる! より>
漠然と本を読むのではなく、いわば著者との「対話型の読書」を行うことが、本質をつかむ力をつけるうえで非常に有効である。
 自分はなぜこの本を読むのかという問題意識と目的を明確にしたうえで、「著者はどういうロジックで主張をしているのだろうか?」とか、「自分が感じる疑問に、この本はどう答えてくれるだろうか」というような問いを立てながら読んで行くわけだから、その問いに答えてくれるキーワード、センテンスに出会ったときに、心のアンテナが反応する感度が高くなる。

わたしの場合はヨーガに関する本を読むことが多いのだけど、ヨーガ伝承の時代の背景や、当時の健康法マーケットや出版マーケットを想像しながら「この著者さんは経験からの身体観をどういう翻訳で伝えようとしているのか。何に対して "そうじゃないんだよねぃ" といいたいのか」というところを追っている。智慧の伝承のバリエーションとして。



このほかにも、「重要度×緊張度」のマトリックスの話など、頭の整理のアイデアをいただいた。
ビジネス本も、こうやって読むこと面白いものです。