うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

紙の月 角田光代 著


映画を観て原作を読みたくなり、イッキ読み。映画版の「この部分を切り取って、そこを彫りこんだのかー」というすごさもわかって、あれこれ思う。映画では夫とのやりとりの描写がが少なかったけど、原作では夫との関係が多く書かれています。このやりとりが、夏目漱石の小説みたい。
原作本の読後は、この4文字がズシーンとくる。



「見つけて」



インドで哲学を習っていたとき、「pay attention me」という気持ちが際限なく沸いてくることが題材になったことがあり(授業は常にディスカッション)、そのときはずっと英語だったので、ふと「pay attention me」っていうフレーズがそもそもおもしろいと感じた印象を思い出しました。「pay」なんです。まるで注意がお金で買えるような、この感じ。日本語でも「注意を払う」っていうけど、日本語の「払う」にはお金のにおいがしない。英語だとお金のにおいがする。
この小説のなかで感じる世界は、まさにこういう「pay」の世界でした。



小説は、いきなりアジアの場面から始まります。



「本気の正義感」「私の本当の居場所」



ここに火が点いてマテリアル・ワールドと折り合えなくなっていく旅人の気持ちが、わたしにはよくわかる。よくわかりすぎているからこそ、すごく気をつけている。



「得体の知れない万能感」



小説では主人公の梨花だけでなく、別の人物の同じ心理が織り成すように描かれる。そのなかのひとりの女性は、自身をこのように評して落ち込む。

母親にも妻にもなり損なった、そればかりか、自分自身にすらなり損ねている頼りない女。

女が「頼りない」ことで自分を責める現代社会。明治時代の小説ばかり読んでいたので、不意打ちを食らって「お、おおぅ」と思う。




わたしは、主人公の梨花が裕福な顧客をこう評するところに、なにか凝縮したものを感じました。

屈託なく笑い、声を荒らげず、人を押しのけず、すぐ人を信じて、悪意など見たことも聞いたこともなく、だれかが自分を傷つけることがあるかもしれないなどと思いつきもしない人たち。彼らは、お金というふわふわしたもので守られて生きてきたのに違いない。

たぶん、お金ではなく「余裕」に守られているのだけど、お金だと思っちゃうんだよね。


お金が可視化するイリュージョンとリアル。
「力」を持つ物質として、お金が支配を行使するさまざまなやりとりが、女性の視点で語られる。
おんな夏目漱石、みたいな小説でした。凄腕。