うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ぼくが最後のクレーマー クレーム攻防の方法 関根眞一 著

旅行記の途中ではありますが、出張中に読んだ本の感想を記録しておきます。以前感想を書いた『となりのクレーマー 「苦情を言う人」との交渉術』と同著者さんの本です。仕事仲間が貸してくれました。というか、転がっていたのを「借りていい?」と持ってきた。うちこは攻めの営業部門にいるのですが、守りのリスク管理部門にこういう本の貸し借りができる仲間がいるのは本当にありがたい。


去年くらいから、クレームやその心理について書くようになっていますが、高齢化と格差社会で明らかに増加するのがわかっている以上、早い段階で見つめる体勢に入ろうと思っていたところに、そういう仕事の縁が回ってきた、という背景があります。
クレーム対応というのは対人トラブルではなく社会背景ごと理解していくものだと感じていて、この本はわかりやすく「方法論」として編集構成されているけれど(じゃないと売れないからね)、全く同じコンテンツを「社会背景分解」を主にして書き換えることができる内容です。


この本の中で、クレームには「金品目的型」と「ストレス解消型」があると書かれているのですが、確かにそう。で、前者はわりと対応ノウハウとしてメソッド化できる要素が多いのだけど、後者が問題。以前出張のあとの移動中に「クレーマーさんの頭の中」という日記を書いたことがあるのだけど、それがまさに「ストレス解消型」でした。
「金品目的型」にも出会ったことがあります。これは、専門分野の人の力を借りながら対応したのですが、他人の瞑想をチャネリングしているかのような感覚でした。「わたしにはゴネれば他人よりも得ができるならしたいという欲がある、欲がある……。相手の些細なミスを最大の金銭利益に替えたいという欲がある欲がある……」と、深層まで同調してしまい、クレーマーさんに対して腹の立たない自分は頭がおかしいんじゃないかと思ってしまいました。
専門分野の人が、「"訴える" ねぇ。損なこと知らないって言っちゃった状態なんですね、これ」と余りにも機械的に説明してくれるので、安心して一緒に瞑想できちゃったというありがたい状況もありましたが。


いろんな軸でコメントすることができる題材の本です。紹介いきます。

<128ページ 第八話 つい大声を出したばかりに〜歯科医院の苦情 Q&Aより>
Q:今回の説明に納得できない、として、「訴訟を起こす」と言われたら?
A:「無駄ですからやめましょう」と言ってください。「なにか困ることでも?」と相手が言ったら、「ありませんが、時間とお金の無駄です」と言ってください。それでも、訴訟を言うなら、「仕方がありません、当医院では訴状を待って、対応を考えます。それでは、もうお話しすることがありませんので」と言って、席を立ちましょう。そのときは、手土産は渡さないでよいのです。
 ただ最後まで、「訴訟は無駄です」と伝えてください。

ほんとそうなんですね。「訴えれば?」という日本語は使わないまでも「訴えるのですね。そうですか」。金品強要のために些細なきっかけから「○○にかかった労力」などを題材にこういう話法に展開する。

<141ページ 同上章 著者さんが第三者として介入した際の対応セリフ>
「この歯科医師をいじめるための訴訟をするのなら、それも結構です。受けます。一年以内には結論も出るでしょう。そうなると、あなたの取った行動は立派なクレーマーです。それは、周りの人や社会の人の知るところとなるでしょう。クレーマーはそもそも、友だちのいない寂しい存在なのです。Hさん(苦情を言った説得相手のこと)はそんな風に見えないから、今日、会っていただいたのです」

「これまではご指摘をいただいた状況と認識しておりましたが、たしかに第三者に決めてもらうというのも賢いかもしれませんね……」というのよりももう一歩踏み込んで最後は水戸黄門みたいな展開。
執拗さの矛先が人に向くクレーマーさんを見ていると、小学校の先生になったような気分になります。担当者を変えても、攻撃対象の担当者がクビになるようなダメージを見届けないと気が済まない人とか。今後増えますよこれ。「むしゃくしゃしていたからやった。誰でもいいからクレームをつけてクビにしてやりたかった」という職務上殺人。

<156ページ 万年筆の苦情は口実 話し相手が欲しかっただけ? より>
二○○九年の三月までには、三五○万人以上もの団塊の世代が、サラリーマン生活を終えます。このなかに○・一%のリタメイトがいても、三五○○人近くとなります。また、リタメイトが一人いると、なぜか周りに「感染」して、周囲もリタメイトとなっていく場合もあるので注意が必要です。

(補足:リタメイト=リタイアしたシニアのクレーマー。元管理職だったりすると、目下の人間を叱咤したい残像的中毒衝動が買い物やサービスに向けられる/うちこ訳)
「感染」はうまく「抑止」に跳ね返せるのではないかと思っています。シニアだからこそクレーム対応ができる、という人が重宝されなきゃ。「苦情コンシェルジュ」として接客の最高位について欲しい。俺は自分よりも年上の老人に言いがかりをつけているのか、というのは抑止にならないかなぁ。甘いか。

<223ページ コミュニケーション能力 より>
 このような現状を打破するためには、相手の怒りや不快感を和らげる「第一印象のよい人」「感じのよい人」を雇い、コミュニケーション能力の高い販売員を確保しておかなければなりません。
 苦情社会のなかにある現代ほど、こうした人材の確保が欠かせない時代はないのです。企業にとっては、まさに死活問題だと言ってもよいかもしれません。
 学校も同じだと思います。教員採用にさいして、クレーマーや苦情を言う人をうまくさばけそうな、コミュニケーション能力が高くて感じのいい人材を、一定数、確保するべきなのです。保護者の、教員に対する尊敬の念がうすれた今、学力や指導力だけで、教員の資質を決めていた時代は終わったと、わたしは本気で思っています。

必要ですね。英語なんて話せなくてもいいから、おかしな敬語で状況を悪化させない「感じのいい人」。カタカナの用語を即座に相手に合わせた比喩に変換できる人。

<235ページ コラム 地域による微妙な違い より>
 関西の方は、ささいな不満でも申し立ててくれるので、数としては多いですが、きちんと謝罪すれば、ほとんどの方は納得してくださいます。
「言えば何かもらえる」と思って苦情にする方もいて、「何もでないの?」と聞かれて「申しわけございませんが、何も差し上げられません」とお断りすると、「いいわ、いいわ、言ってみただけだから」と引いていきます。
 それに対して関東は数としては少ないのですが、きちんと理論を立てて申し立てをされるので、なかなか納得していただけません。関西の方のように「言ってみただけだけ」ということはほとんどなく、「きちんと説明をして返事を出しなさい」と言って粘られるので、一人当たりにかかる対応時間が長くなります。

これほんと、そうなんですよね(笑)。今では実体験で学んだので笑えますが、根本的にはこの関西の「言ってみただけ」は、かわいく言えないのであればものすごく無駄で迷惑、と思っています。言われた方が面白くなきゃ。

<239ページ 電話対応の場合 より>
 メラビアンの法則というものがあります。
 人は、他人を見たその瞬間にこの人がどういう人かを見抜き、それが、その人がどんな人かという判断に五五%影響するのです。また、その人の話し方と身ぶり手ぶりを見ることが、その判断に三八%影響します。
 すると、話しぶりを遠方から見られるだけで、言葉を交わす前から、人は人のことをもう九三%決めつけてしまっているのです。つまり、言葉の内容が通じるのはたった七%しか残っていないことになります。
 電話対応は、七%の要素でお客さまの苦情に対応をすることになるのです。

ものすごい仕事ですよね。うちこは顧客対応電話のモニタリング(ストーカーのようにじっと聞く)ということを明日も行なうのですが、「電話接客美人」という技術を持った人に、本気で恋をしてしまいそうになる。


対人クレームに限らず、蒟蒻畑のアレとかいろいろ思い出しますが、これ以上事業者いじめが増えると本当に面白い商品が世の中から減っていくよ。
うちこにとっては、この「エゴの取り扱い」と「生命力の潰し合い」をヨギとしてどう見つめていくか、ってのが目下の課題なのですが、サービス提供側の人間が生命体としてコミュニケーション力が退化しているのもこれまた事実。
「タイミングが命のモテ接客」とかに変換しないと、その重要さは注目されなそうだなぁ。