うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

信玄餅について語るときに私の語ること

またタイトルをパクってます。ごめんなさい。
今日は仕事の後にヨガ道場の新旧受付女子、ピロエちゃんとレイコちゃんと待ち合わせて、井田さんのフラメンコを見ながらビールを飲みに行きました。ピロエちゃんは二度目ですが、レイコちゃんは初メンコ。ピロエちゃんはフラメンカなのですが、われら二人は未メンコ。「フラメンコって、おなかがペッタンコになるんだ!」と、同時に同じことを妄想しながら観てました。
ライブはいつもながらとっても素敵。前より面白かった。あの場にいると「ああゆう女性らしさはいいもんだなぁ」と思うのに、振り向くと2秒で忘れてしまうのはどいういうことだろう。

その後、お茶しながらずーっとヨガ談義して、歳の変わらぬ我らの話は止まらず、電車の中でもずっと同じ勢い。来週からレイコちゃんが河口湖へ行くというんで、「信玄餅! 信玄餅!」とはしゃぎついでに、「いや、だって、信玄餅を初めに考えた人、すごいってば」という話に。「なんで信玄餅について、そんなに語れるの・・・。おかしいってば」とつっこまれまくりながら、うちこはすべて伝えたいので、すべて伝えました(笑)。


<うちこが「信玄餅」を敬愛する理由>
●昔からあるのに、すでに「個包装」という分野で革命を起こしている
●職場で連休明けなどに分配されたとき、パッケージから出るあの「ありがたいオーラ」が別格
●限りなくギリギリ。黒蜜を乗せたときの表面張力的な「高さ」設計
●包みを開けてから、最後までの「儀式」

 →掘り下げますよ!

 ●すべての動きは、まるで禅僧のように落着いていなければなりません。なんせ高さがギリギリですから。
 ●そこからさらに、木のナイフで隅っこに黒蜜を行き渡らせる際に「スリル」が用意されています。
 ●ワキが甘いと危険です。手ぶれします。
 ●いざ、実食となってから、口へ運ぶまでの、あのバランス。
 ●うちこ的には、あえて口へ運ぶスタイルを選びます。空中を移動するときのそれは、まるで書道の「気空」のようです。
 ●魔が差して口を餅のほうへ近づけてみたとしましょう。そこで、一瞬でも鼻息が乱れたら最後。今までの段取りが水の泡。覆水盆に返らず。きな粉、ケースに返らず。はかなく舞います。
 ●ありがたく味わっている間も、呼吸を乱してはいけません。うっかり口で広い範囲の空気を入れようものなら最後。今度はきな粉がのどに散ります。お茶を流し込むタイミングとしては圧倒的に早すぎるところで、それを許容しなければいけなくなります。


とまあこんなふうに、信玄餅というアーサナは呼吸が命。先日も「うさぎのポーズ」のときに書きましたが、動作と呼吸の関係がこんなに密に設計されたアーサナで、しかも地方名産であるというのは、なかなか他に見当たりません。信玄餅を考えた人は、やっぱりすごいと思います。