うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

仏像は語る 西村公朝 著

同僚のしげさんがそっとデスクに置いておいてくれた本。楽しく読みました。「西村公朝師のこと」というあとがきは中村元先生
しげさんは、わたしがほとんどデスクにいない間に、「これを、読んで欲しいの」というポストイットひとつで残して置いていったのですが、このあとがきの中村元先生の本にうちこが大いに感銘を受けている状況など知らなかったでしょう。

この本の著者さん、インド古典舞踊団来日の際に楽屋までその衣のまとい方を聞きに行くような、ご老人になっても少年のような探究心を持った素敵な方です。今回も、いくつか心にメモしておきたかったことをみなさんにご紹介します。


<45ページ 無知な住職 より>
弘法大師入定千百五十年御遠忌の年のことです。東京の仏師に彫らせたという等身大の弘法大師像が、ある寺に寄与されました。奉納されたそのお寺では、さっそく開眼法要を行いました。

(中略)

この像では、五鈷の握り方が間違っていたのです。どう間違っていたかといいますと、ふつうものを握る場合、親指以外の四本の指を曲げて、親指で人差し指と中指を押えるのが当然の形と思います。この弘法大師像もそのような形で五鈷を握っていました。一見、それでいいように思いますが、実は弘法大師の右手は、金剛界大日如来の印相である智拳の印という指の形で五鈷を握っているのです。つまりその形は、親指で人差し指を押える握り方でなく、親指が四指の内側に入って、人差し指で押えられた形でないといけないのです。

なるほど。今後の弘法大師像の見かたも変わってきますね。信じて疑わなかったわ。

<56ページ 宗派の変遷と仏像 より>
平安時代になりますと、それぞれの仏には異なった働き、法力があるという、いわゆる密教的な考え方いよって、天台宗真言宗が生まれます。しかし、私たちの願いに応じて、その仏像の働きに采配をふるう金剛界大日如来を本尊として拝む真言宗と、仏像の働きに応じて、それぞれに拝んでいこうとする天台宗とでは、造像の表現も異なってくるのです。
 もともと仏像の肉体的表現には、静かに呼吸している姿勢、つまり気息をはき出している姿勢が表されています。これは法力をはき出しているのです。そして、そのために横隔膜がぐっとおさえられている表現として、ちょうど鳩尾のところに横線を一本入れます。ところが平安時代天台宗の仏像では、このことを一層強調するために横線を二本入れているのです。

横隔膜の表現とは! それめっちゃヨガじゃないですか。面白い。

<88ページ 仏像の衣の謎 より>
菩薩や明王の服装は、インド古典舞踊団がそうしていたように、その服装で激しく動きまわってもほどけることはありません。つまり菩薩や明王は、正装したままの姿でも活動ができ、悪魔と戦うことができるのです。これに対して、一枚の布による如来の通肩の服装では、とても踊ったりすることはできません。それは、気を抜くとほどけてしまうからです。如来は、静かな姿でいなければ衣がほどけてしまうのです。こう考えていきますと、この違いの中には、何か具体的な心の表現が盛りこまれているように思えてならないのです。そこで私は、スリランカのお坊さんに、偏袒右肩と通肩の違いを尋ねてみました。すると、スリランカでは右肩を肌ぬぎにするのは仏を礼拝するときで、瞑想にふけるときは通肩の服装で行うというのです。

「気を抜くとほどけてしまう服装」というのに、ひどく自分の普段の生活のよくなさを反省。ほどよく脇と腹筋の締まる服装を心がけなければ。

<177ページ 仏師の位の話 より>
運慶、快慶といえば、東大寺南大門の金剛力士像で知られ、今でこそ仏師の代表的な名前として誰もが思い浮かべる人です。しかしこの二人には大きな違いがありました。運慶は慶派仏所の直系で、早くから大仏師となり、やがて法印の位も授けられるようになりましたが、快慶の方は、運慶の父康慶の弟子で、慶派の仏所に所属する一流の仏師ですがその仏所の直系ではありません。つまり仏所のしきたりからいいますと、直径でない者はなかなか大仏師にはなれないのです。素晴らしい技術を持ちながら、快慶は講師どまりでした。講師というのは、小仏師と大仏師の中間に位し、力量的には大仏師にもなれるような人たちの呼び名です。

うちこは、ずっと快慶さんの仏像の「おしゃれさ」(うまく言えないのですが)がずっと気になっていたんです。こう、ひとつ垢抜けている。ほかの有名な人の仏像に比べて、「メッセージが感じられるデフォルメ」があるように思えてならなかったのです。興味深い。


最近職場で「うちこさん、意外と仏像に詳しいらしいですよ」とか人づてに伝わっているようで、「仏像」をネタにいきなり仕事でしか接しない人に話しかけられたりするのですが、すごく見どころが偏っているのと(前にも書きましたが、要はヨガ的な力の抜き加減の表現に勝手に萌えているだけです)、そもそもヨギであることを知っている人は親しい人だけなので、会話の展開に困ってしまうんです。
「どうゆうのが好みですか?」と言われても、「脇の下の加減がとてもよいものがたまにあるんですよ」とか「稀に降魔坐のものをみると、おおっ!と思います」とか答えても謎ですし。
仏像の楽しみ方は人それぞれなのだと思いますが、うちこは永久的にヨギ視点で仏像を楽しみます。

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