旅をしていると、地域の人たちの日常の営みで繰り返し見る光景があります。
その多くは信仰に関わることですが、これはなんだろうと思っていたことが本を読んだらわかりました。
この本の「コラム6」に、これか・・・と思う説明がありました。
それは道端で見る光景で、こんな感じで展開されているミニミニ骨董市です。
小さい仏様や僧侶のメダルのようなものを囲んで、ああだこうだ話している光景を複数の都市で何度も見ました。この絵はピッサヌロークのナーン川のほとりで午前中に展開されていた光景です。
本にはこのように解説がありました。
- 「プラ・クルアン」「ワトゥ・モンコン」と呼ばれる
- お守り、護符に相当する
- 小型の仏像、高僧をかたどったもの
- ペンダントとして身につけられる
- 資産価値を持ち、動産として評価される
- 昔は身につけるのではなく寺院に奉納されるものだった
- 霊験あらたかな素材での製作+聖化儀礼の二段階プロセスがある
- 入魂儀礼を行なった僧侶の徳の高さが高いほど効き目があるとされる
- 効能がないのは所有者が在家の戒を守っていないか、ブン(徳)がないためとされる
ちらっと見ていると「なんだい? 気になるのかい?」みたいな笑顔を向けてくれるのだけど、タイではあまり英語が通じないので、訊くことができずにいました。写真を撮ったら「買っていかないのか」と言われるかな・・・と思って、目に焼き付けて描き起こしました。
鑑定のしかたの本などもあるそうです。
一緒にしてはいけないと思うのだけど、ノリというか見ている限りではビックリマンシールの交換会に似たような・・・、そんな集いの雰囲気もあったので、ああやって話している人たちを思い出して、謎が解けてスッキリしました。
タイの人って、真面目なことをしてても、なんだかゆるくて楽しそうなんです。
ずるっと座って祈る女性たちの、ゆるやかな午後の集い
こんな光景も見かけました。
バンコクで間違えてたどり着いて入った寺院で、これから夕食のお買い物へ行くのであろう女性たちが、べちゃっと座って時々立って、お賽銭を入れたりお香を焚いたりお花を飾ったりして、ゆる〜くお祈りしながら静かに集っておられました。
「Wat Rajsingkorn」というお寺です。
バンコクのキング・オブ・脱力スポット。
信仰が身近にあるのに窮屈じゃなくて、やっぱりそれは国民性とか風土とか、そういうのがあるよね。