今年のGWに夏目漱石の『こころ』をなぞる旅をしてきました。
映画と小説でおさらいをして出かけました。
キラキラの海と太陽の下で行われた陰気なマウンティングのありようを全身で感じてきました。
小説はフィクションです。なので、追いかけたところでリアリティの追求にはなりません。
わたしが感じたかったのは、こういうところにやって来てまであんな会話をせずにいられなかったあの二人がどんな精神状態だったのか、夏目漱石がどんな心を描いたのかを、行間として読みたい。そんな気持ちで出かけました。
結果
ここでそんな会話する? そんな気分になる?
もうね、この連続。
なんでこんなに美しい場所でそんな話をしているの。
そしてわたしはひとり旅。
旅は旅で楽しみながら、やっぱりあれはマウンティングの話だと思うのでした。
特別なことが書いてあるわけじゃない。むしろ、ものすご〜〜〜くそこら中にあることがデフォルメして書かれている。いわゆる「論破」みたいなやつを大正時代のコミュ障同士がやってたってだけ。
あの小説は思わせぶりな引っ張り方をしているだけで、実のところは幼稚さについて書いているよね。