エビデンスは注釈にまとめ、語り口は調査ベースのエッセイ。ここ数年でこういう本が増えていますね。たくさん翻訳されるようになったのでしょうか。
この本は冒頭のつかみのエピソードが、大学教授である自身へ向けられた脅しをきっかけに自分の中のchatterとの付き合い方をあらためて見直したという流れ。そこから、実際には起こらない出来事を推測し続けるchatterの話に入っていきます。
平常であればこの掴みは絶妙な柔らかさだと思うのですが、わたしの場合は違っていました。ちょうどこの本を読みはじめた頃に、日本の大学構内で社会学者の教授が襲われる事件が起こったばかり。なので最初はなんだか呑気な本に見えました。
これはいったん時間をおいたほうが良いと思い、しばらく日数をおいて読んでみたら、有益なことばかり書いてありました。
時間を置くことで、わたしの脳内chatterがもうあの事件について話したいモードではなくなっていて、シニカルな視点が薄れていました。
わたしはこの本にあった以下の要素について、200%同意です。
- プラセボは侮れない
- chatterを鎮める儀式的行為の有効性
- 儀式を誰かと一緒に行うことの有効性
- 畏怖の効力
- 愚痴と孤立の関連性
- 自己内対話の距離と恥ずかしさ・気まずさの関連性
- 露骨な支援は苦難の対象にさらに目を向けさせる
この本では「体力(あるいは老化)との関連性」や「言語化をそもそも放棄するchatter(反応だけをひたすら表明したい欲だけの状態)」には触れられていません。
プラセボでも侮れない。
占いもスピリチュアルも、嘘でもいいから "わたし専用の奇跡っぽい感じ" がビジネスになっていると思っているわたしにとって、この本の語り口は距離の取り方が適切で心地よく感じました。
プラセボの幅広い効果を目の当たりにすると、なぜこれほど奇跡的に効くのかという疑問が湧いてくる。蓋を開けてみれば、その原理は奇跡でも何でもない。鍵を握るのは、人間が目覚めているあいだ、脳が四六時中必要とするもの、つまり予想である。
(プラセボはチャッターにも効果がある より)
自分の予想に疲れて、他人からの予想にすがる人がいる。
さらにその他人の言葉に納得がいかないと文句を言う chatter も同じ人間のなかに存在するから、啓示や占いをザッピングしたり、ワークショップをジプシーのように渡り歩く。
そもそも自分の予想で疲れるところまでいかなければ、必要のないものです。
著者は「自分自身をコントロールしたいと望むのは、人間の強い欲求だ」というスタンスで書かれています。そこはわたしの考えとは違っているのだけど、出だしは違っても「自分の脳内おしゃべりに呑まれるな」という点に注目しているところは同じ。
先にリストした200%同意なところを著者の視点から語ってくれていて、楽しく読みました。
(長くこのブログを読んでくださっている方へ)
▼今日の本は、過去に書いたこれらのことを覚えているような人におすすめです