うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

急いで伝えるほどのことはないけれど、伝えたいことがある

先日、長くブログを読んでくれている人と一年ぶりにメールのやり取りをしたら「勝手に励みにしてて、いつもお世話になっております」と書いてあって、そうそう、だからブログなんだよな……と思いながら読みました。


頻度はもっとたまにでもいいのに、つい毎日のようにアップしてしまいます。
いまはもう検索エンジンのアップデートをウォッチする仕事をしていないし、こんなに頻繁に更新しなくてもいいのだけど、書く癖が抜けずに続けています。「勝手に励みにしてる」なんて言ってくれる人もいるしね。
「勝手に」というのがなんともいいじゃないですか。こっちは励まさなくていいんだから、win-winです。(←使い方あってる?)

 


さて。
ブログというのは、ひとりでボケ倒せる人じゃないと、こう毎日は続きません。
リアクションを確認しながら進める会話よりも、考えをまとめてから話をしたい人に向いています。
よく「話したいことがいっぱいある」という人がいますが、聞いてみると明確なアジェンダが多数あるわけではなく、リアクションを求める気持ちが満タンに近づいている、という意味の場合がほとんど。そこに「理解して欲しい」も含まれている。


10年前のわたしは「話したいことがいっぱいある」とあまりよく知らない人から言われると、「何項目くらいあるのだろう。こちらは相手についての予備知識がないけれど、時間は足りるだろうか」と思っていました。いまはそういう意味ではないことがわかるようになりました。
先日、小説&映画で『キッチン』を観たら、主人公がある人物から「どうしてそんな冷たい言いかたができるの」と言われている場面があって、ああこれもそれだ、と思いました。

 


わたしの場合「話したいことがいっぱいある」ときは、発見したトピックにインパクトがあるときです。なので、最近読んだ本にものすごく感銘を受けたときもそういう気持ちになります。

「話したいことがいっぱいあるなぁ」という、あのニヤニヤする気持ちは、胃を空っぽにして活動してお腹が空いて「なに食べよっかなぁ。もうこの際なんでもいいなぁ」というときの幸福感と似ています。
お腹が空いてないのに食べ散らかしたときの気持ち悪さと、聞いてくれる人がいるのをいいことに喋り散らかしたときの自我の居心地の悪さも似ているので、こういうのって、なんというのだろう・・・とよく思います。粋か無粋かというのとも違う。もっと身体的なもの。

ひとことでいうと「制御」なんて味気ない言葉になってしまうのだけど。

 

 

わたしにとって、すぐに軽いレスポンスが返ってくる SNSは「制御」にノイズが入りやすく、愛着がわきません。

誰かに向けてじっくり意識をまとめる時間にこそ「愛」があると思っている派なので、結局ブログに戻ってくる。このくり返しです。

今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました♡