うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

西原理恵子×月乃光司のおサケについてのまじめな話 アルコール依存症という病気

先日病院でもらった「依存症家族ミーティングのしおり」にあった、初めて勉強する人向けの5冊の推薦本のなかの一冊。迷わず最初にこれを選びました。
前半は、ショート・マンガとともに、夫がアルコール依存症だった家族の立場から西原氏が、後半は自身がアルコール依存症で断酒をしている月乃氏が、その病気がどういうものであるかについて語っています。
わたしは家族の立場だけど、精神科の診療中に父へのヒアリングとわたしへのヒアリングを一緒に受けたので、どういう流れでお酒の悪魔に魂を売ってしまうのか、という心のことを身近に感じながら読みました。


わたしはひょんなきっかけで長年の「本人が認めない(=これが症状でもある)」という状況から一歩踏み出すことになったばかりなので、この本に助けられた! という気持ちではなく、「ああ、こういうことだったんだな」というのが半分くらいわかった感じだ。わかったのは「アルコール依存症という病気」というものもそうだが、わたし自身が渦中にいたということ。

<まえがきにかえて より>
 当時の暮らしを思い出すと、乗っている船が難破して、漂流しているようなものでした。大波にさらわれないようにするのに精いっぱいで、どこかに相談に行こうとか、病気や治療法について調べよう、などと考えつく余裕はまるでありませんでした。

わたしは4年半前に父親と同居を始めたとき、そもそも「これはやばい。アルコール依存症だ」というのがきっかけだったので、はじめのころに治療について調べた。最初に見つけた近所の自助活動の案内に「通院、治療をしていること」という条件があった。そうかと思ってそこから「病院へ行く」というステップへ進めようと思ったのだけど、これがそんなに大変なことだとは知らなかった。「認めないから、病気なんだ」ってことを知らなかった。何度も挫折して、もうどうでもよくなっていった。

<対談部分「知られていないことが多すぎる」より 西原氏>
 わたしは夫の依存症について、離婚するまで気づこうとしなかった、直視できなかったという後悔があるのだけど、今だったら知識もあるので、もし家族がこの病気になったら、すぐに治療を受けさせます。
 でも当時のわたしにはそうしたことを理解する余力がなかった。実際、依存症者がいる家族は、恥ずかしいとか後ろめたいとかいう感覚より、渦中にいると、ものごとを正常に考える気力すらなくなってしまうんです。わたしもその中にいたからよくわかる。

「渦中にいると、ものごとを正常に考える気力すらなくなってしまう」というのは、本当にそうだ。めちゃくちゃに働いてどんどん活動的になって、忘れる時間を増やすことでバランスをとっていた。今もそれは、間違っているバランスの取り方ではないと思っているけれど。

<うちの人、このごろおかしい? より>
 病気なのだから、現象としてサイエンスで見なきゃいけなかったのに、どんな病気なのか考えようともしないで、単に酒好きの自堕落な人が飲んでは暴れる、という程度の理解だったのです。

そう、「サイエンスで見なきゃいけなかった」。わたしの場合は、「父には忘れたいことがあって、意識を失う時間が多くないとだめな人なんだ」という理解をしていた。麻薬じゃなくてよかったな、くらいの。排泄や歩行に障害が出はじめても、はじめのころは「意識をなくす時間がどんどん増えているね(好きなことして死んだらいいんじゃないかしら)」と思っていた。

<家族が割に合わない病気 より>
 この病気は、つまりは家族が割に合わない病気なんです。だれかに相談するにしても、家族の悪口を第三者に話すことになってしまう。家の中のことだから、だれに助けを求めていいかわからない。家族の悪口を言って、一体それが何になるんだろうってことですよね。

わたしは友人には「うちのアル中オヤジが」と話していたけど、家族には一切話さずにいた(先日、やっと弟に話せた。「もう7年くらいこんな感じだよ」と言ったらショックを受けていた)。家に警察の人が助けに来てくれたとき、「ほかに身内はいないんですか? なんでひとりで抱えているんですか」といわれて、「身内は生きていますが、彼らはこういうことはない前提で暮らしています」とこたえた。もう二度とこんな質問は受けたくないもんだと思った。



ここまでは、西原氏の部分についての共感と実感。
ここからは月乃氏の部分についてのコメントになるのだけど、こっちのほうは、なんというか、グサグサきた。

アルコール依存症の原因とは何か より>
アルコール依存症者が、働きもせず酒をあおっていられる背景には、イネーブラーと経済的なバックボーンが必ず存在する。

年金が入ってきて、尿は好きなところでしても娘が掃除をしてくれる。最悪の状況を作っていた。

<この病気との上手なつきあい方。 より>
 依存症者に対する家族の基本的なスタンスは、何もしないこと。酒を隠したり説教したりおだてたり、飲んでいれば落ち着くからといって金を渡したり、その人の尻ぬぐいといったことを一切やらない。見守ってはいても手を出さないことが、つまり、本人を「底つき」に向かわせることが、結果的に回復を早めるいちばんの方法といわれている。

これは、実際にはすごくむずかしい。仕事を終えて帰ってきて、家の中が尿まみれだったり血が床についていたりしたら、すぐに掃除して、それから少しはくつろぎたいもの。貯まっていく酒ビンだって、目にしたくないからすぐに捨てたい。そんなものに囲まれながら毎日しれっと社会人をやるのは至難の業。わたしは、いつもすぐに片付けてしまっていた。

<やがて感情も制御できなくなる より>
 酒を飲むとよみがえってくるのは過去の栄光。そして、あんなすばらしい栄光があったにもかかわらず、今の自分がこんなにも、みじめでふがいないのは、あの人がいたからだ。お酒を飲まずにいられないのは、あの人がわたしにあんなことを言ったからだといった具合に、自分の中で勝手なストーリーをつくり、何年も前に別れた女性やお世話になった人、家族に対して怒りの感情をつのらせるようになっていった。

うちのアルコール依存症者も、「田舎のボンボン、お人よし⇒人の借金の保証人にサイン⇒多額の借金を抱えて自己破産」という理由がある。このたびの診療で、自身の事業にも借金があったことをはじめて知り、もう笑うしかない感じになってきた。ここまで恨み節な感じには見えないのだけど、意識としては同じようなことを抱えているのだと思う。




西原氏のこのコメントは、当人が本当に変わってからでないと、わたしには理解できそうにない。

<対談部分「信用の回復には時間が必要」より 西原氏>
 退院後の二、三日の間の彼の言動を見て触れて、人間の記憶というのは、どんなにつらいことがあっても、いい記憶に書き換えられることをわたしは知りました。ある日突然神が降りてきたって感じ。遠藤周作さんや曾野綾子さんは、こんな感じで神と出会ったのかしらっていうような、とても気持ちのいい幸せな時間でした。その後の半年は本当に幸せでしたよ。だから過去の地獄のような六年間に蓋をすることができたんです。

わたしはそんなに地獄を見ていないので、まだ地獄が来そうな恐怖がある。これは当人が亡くならないとそう思えない境地なのかな。



背表紙にある西原氏のメッセージ「家族が憎み会わないために。」
読み手が家族の場合は、これにつきる。このコンセプトが貫かれている。


この病気の説明のしかたも、漫画のなかの西原氏のこのシンプルな言葉がとてもよいと思った。

アルコール依存症
その人にだけ
お酒が覚せい剤のように
なってしまう病気です。

「その人にだけ」ってとこが、ポイント。



いざ断酒をすすめようと思っても、コンビニで簡単に手に入るものを、どうしろっていうんだい。
この道はけわしい。わたしは「おいしいビール」が好きだけど、病院で「おいしい悪魔」の存在を知ってしまってから、ちょっとお酒と距離を置くようになりました。